現代米国ポピュラー音楽界の音楽的基礎の一つを作った才人であり、負となるものも多大に出していた不明の人の訃報が届いた。殺人罪により刑務所のリハブ施設に収監されていたが、堀の外の病院で死んだという。当局は自然死の可能性が強いと発表したが、彼の娘は新型コロナ・ウィルスに感染しての合併症が死因であると公にした。

 山ほどの栄誉と、底なし沼のごときどうして? を抱えた御仁。ルーツは、ロシア系ユダヤ人。彼はブロンクスで生まれたが、父親が自殺したあと、母親とともに1953年にロサンゼルスに引っ越した。その後、スペクターはギター奏者/ソングライターとしてバンドを始め、ザ・テディ・ベアースで全米トップ10ヒットも獲得。彼はジェリー・リーヴァーとマイク・ストーラーという名ソングライター・チームの事務所に入り浸ったこともあった。そんなこんなで10代にしていろいろなレコード産業中枢とのコネを得たスペクターは裏方業に転身、1960年にレイ・ピータソンの「コリンナ・コリンナ」という曲で全米10ヒットを出し、1961年には自分のレコード会社のフィレスも作ってしまう。そこらあたりの発想、割り切りの良さはすごいな。

 ザ・ロネッツ、ザ・クリスタルズ、ダーレン・ラヴ、アイク&ティナ・ターナー、ザ・ライチャス・ブラザーズ他のヒット・シングルを次々に手がけ、またいろな曲も作り、彼は押しも押されぬ音楽名士となる。確かなスタジオ技術と弦楽器や管楽器音も用いての“ウォール・オブ・サウンド”は彼のトレード・マークとなった。モノラル録音のもと重厚さに留意したサウンドはモータウンとともに、当時のラジオ映えする華と洗練を持つポップ・ソングの最たるものであった。

 ロック全盛期になる前のアメリカン・ポップスにあまり触れていないぼくが、フィル・スペクターの名前をちゃんと認知したのは、ザ・ビートルズの“レット・イット・ビー”セッションをプロデューサーとしてまとめあげたことによる。ポール・マッカートニー(2018年10月31日)はそのまったりした大人処理を嫌ったと言われ、その意見もロックンローラーとしてのマッカートニーの確かな感性の在り処を示すものとも思う。ジョン・レノンの大名盤『イマジン』もスペクターの制作だ。その前後もがっつり絡んでいるし、レノンはロック・ミュージシャンの中では一番スペクターの手腕を信頼していた人かもしれない。

 薬と奇行あり。1970年代に入るとスタジオで発砲したり、彼に銃でおどされる人が出てきて、1980年代初頭に彼のプロデュースは途絶える。ラモーンズやオノ・ヨーコ(2018年9月11日)作がその最後か。だが、印税はしっかり入っていたのだろう、ロサンセルスの邸宅でふしだらな生活を維持。その延長に、2003年の自宅における女優殺しによる判決19年の投獄があったわけだ。

 2番目の妻だったザ・ロネッツにいたロニー・スペクター(ベロニカ・ロニー・ベネッツ)は彼の死に際し、「音楽にとっても、私にとっても悲しい日です。彼の生前から何度も言っていましたが、彼は素晴らしいプロデューサーではあったものの、お粗末な夫だった。残念なことに、彼はスタジオの外で生活に適応することができなかった。暗闇があり、多くの人の命が奪われた。一緒に作った音楽を聞くと、いつも笑顔になる。音楽は永遠に続く」とインスタグラムに投稿した。

▶︎過去の、フィル・スペクターの米ドキュメンタリー番組
https://43142.diarynote.jp/201304111323591230/
▶︎過去の、ジョンとヨーコを扱う映画
https://43142.diarynote.jp/201105282358273180/ ショーン・レノンの、両親を語るインタヴュー付き
https://43142.diarynote.jp/202010081306571190/ 「DOUBLE FANTASY John &Yoko」展
▶︎過去の、ポール・マッカートニー
https://43142.diarynote.jp/201811011655349966/
▶︎過去の、入国できなったアイク・ターナー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 2003年5月25日
▶過去の、ヨーコ・オノ
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
https://43142.diarynote.jp/201809121745334226/ 新作

<今日の、連鎖>
 ちょっと寝坊して、10時に起床。何気な日差しを感じて、さあっとカーテンを開ける。陽光が注ぐ。微笑み、体内に広がる。冬場のぼくを殺すには銃はいらない、曇天にすればいい。なんて、言いたくなっちゃう。一時曇り気味となりテンションが下がるが、また燦々と陽がさす。なんか、自然にジョージ・ハリソンのザ・ビートルズ時代の「ヒア・カムズ・ザ・サン」をうろ覚えで口ずさむ。メロディと歌詞と歌声がうまくマッチしたいい曲だな。なんか、自分でも驚くほどジーンときちゃった。コロナ期が過ぎたときに聞いたらとか、考えたせいもあったか。ハリソンのその有名曲が出てきたのは、フィル・スペクターの死を知ったこともあったろう。ハリソンもザ・ビートルズ解散後のソロ2作品を彼に共同プロデュースを依頼した。ハリソンはのちに「ヒア・カムズ・ザ・ムーン」という曲も発表したが、どんな曲だったっけか? スペクター関与のハリソンの『リヴィング・イン・ア・マテリアル・ワールド』(アップル、1973年)に収録された「トライ・サム・バイ・サム」は、元ザ・ロネッツのロニ-・スペクターのためにハリソンが1971年に送った曲をセルフカヴァーしたものだ。

追記)
 沖縄民謡の大歌手、大城美佐子(2012年12月4日)さんの訃報も届く。17日、心筋梗塞で、那覇の自宅でお亡くなりになった。大阪生まれで、辺野古育ちであったのか。享年、84。僕が彼女の実演を見たのは、登川誠仁との公演だったが、登川さんのほうは、80歳で2013年3月にお亡くなりになった。
▶︎過去の、大城美佐子
https://43142.diarynote.jp/201212131100492609/


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