本意ではないながら、PCR検査を受けました。
2020年12月24日 音楽 12月21日午後に、中野富士見駅にあるキリスト教系病院から電話が入る。それ、先週15日に母親の将来のホスピス入所を見越して面談に行ったところ。11日にも、別な病院のホスピス面談をしている。それも、キリスト教系。ホスピスを持つ病院って、それ系が多いのだろうか。ともに、ケア付き高齢者用住居に住んでいる母は同行していない。この件については年子の姉主導で動いているが、母がかかっている別の病院の医者の勧めによる。ホスピスはいつも満床なので、事前に複数のところに登録するのが普通なことらしい。
「当院でコロナ患者が出まして、世田谷保健所から連絡が行くと思います」というのが、その病院からの電話の内容。わあ。その1時間強後、今度は杉並保健所から電話。15日にぼくたちに対応した医者がコロナにかかり、濃厚接触者とはならないものの20分以上お話しているので、PCR検査が必要になるとのこと。これから世田谷保健所にデーターが回され、改めて世田谷保健所から連絡が行きますと伝えられる。
肝心の世田谷保健所からは、翌22日の19時半過ぎに電話がある。そして、23日に三軒茶屋の施設でPCR検査を受けることとなった。←強制ではないんですけどと言われたものの(ソレデイイノダロウカ?)、普通は受けるよな。万が一のことを考え、とにかく周りに迷惑をかけることはしたくない。電話で、ぼくが病院の後にどう行動し、誰と会ったかとかは一切聞かれず。おそらく、陽性が確認された時点で尋ねられるとは思うが。予約制で混雑していないとのことだし、検査会場が近めなのは良かった。
保健所からの電話(優しい声の若い女性でした)では、公共交通は使わずに、自転車かタクシーで向かってくださいと言われた。タクシーの運転手、大変だなあ。とともに、感染者が乗車した後のタクシーは危険ではないのかという思いも頭に浮かぶ。客を乗せるごとに換気はともかく、消毒はしていないのではないか。当日、お日様燦燦な昼下がりであったので、散歩がてら30分強歩いて検査の場に向かった。
建物は大きくて、すぐに分かった。予約時間の4分前に到着した。そして、重装備気味の受付の人がいて、名前を伝える。待合室には、15人ほどどよーんといる。これは少し待たされるかと思ったら、すぐに受付番号を呼ばれて奥の個室(いくつかあったはず)で鼻に綿棒を差し込まれて、あっけなく終了。1分もかからなかった。料金は只だそう。気が楽になった帰り道は、全然寒くないし来た道とは別の大回りルートを通る。へえ、こんなところに銀杏並木があるのかとか、目新しい発見ばかり。なにげに楽しかった。これで、後日陽性が伝えられたら、けっこうるんるんだったあの日の帰り道を細い目をしながら思い出すのだろうか。と、ふと思った。はは。
なお、以上の検査状況は、世田谷区の場合。一緒に面談に行った姉にその件を伝えると、小平市は接触者には検査キットが送られ(到着は数日後らしい)、それを決められた場所に持ってくることを求められるという。しかも、持参可能なのが、月、水、金の9時半〜10時半という“殿様”仕様の時間設定なのだとか。こりゃ、ばっくれる人が出てきても不思議はない。夏に区長が独自にPCR検査をしやすくするとぶち上げたことがあったが(https://43142.diarynote.jp/?day=20200805)、これについては世田谷区は恵まれているのかもしれない。
24日11時すぎに世田谷保健所から電話があり、陰性であることが告げられる。人より新型コロナ・ウィルス感染回避には気を使ってきたつもりだし、具合も普通だし、平気だろうとは思っていたが、さすがに安堵を覚える。15日にはホスピス面談の後、プロ45周年記念のアルバム『Waves』(シンコー・ミュージック)を出す是方博邦(2009年5月19日 )さんにインタヴュー(1月9日、毎日新聞夕刊に記事が出ます)しているので、余計に胸をなでおろす。しかし、PCR検査は完全ではないので、29日までは要観察期間となり不要の外出を控えてください。との、こと。これで、年末は死んだふり。なんてこったい。生まれてこのかた、こんな地味な師走は初めてだーー。でも、新たな心持ち、状況を経験できるとポジティヴに捉えよう。お酒にも飲まれず、確実な感染防止にもなるし。そんなわけなので、もうぽんぽん原稿を出している。身に覚えのある編集者さん、そーゆーことなんです。みんな、いいクリスマスになりますように。
▶︎過去の、是方博邦
https://43142.diarynote.jp/200905221026266042/
https://43142.diarynote.jp/201204150902353350/
「当院でコロナ患者が出まして、世田谷保健所から連絡が行くと思います」というのが、その病院からの電話の内容。わあ。その1時間強後、今度は杉並保健所から電話。15日にぼくたちに対応した医者がコロナにかかり、濃厚接触者とはならないものの20分以上お話しているので、PCR検査が必要になるとのこと。これから世田谷保健所にデーターが回され、改めて世田谷保健所から連絡が行きますと伝えられる。
肝心の世田谷保健所からは、翌22日の19時半過ぎに電話がある。そして、23日に三軒茶屋の施設でPCR検査を受けることとなった。←強制ではないんですけどと言われたものの(ソレデイイノダロウカ?)、普通は受けるよな。万が一のことを考え、とにかく周りに迷惑をかけることはしたくない。電話で、ぼくが病院の後にどう行動し、誰と会ったかとかは一切聞かれず。おそらく、陽性が確認された時点で尋ねられるとは思うが。予約制で混雑していないとのことだし、検査会場が近めなのは良かった。
保健所からの電話(優しい声の若い女性でした)では、公共交通は使わずに、自転車かタクシーで向かってくださいと言われた。タクシーの運転手、大変だなあ。とともに、感染者が乗車した後のタクシーは危険ではないのかという思いも頭に浮かぶ。客を乗せるごとに換気はともかく、消毒はしていないのではないか。当日、お日様燦燦な昼下がりであったので、散歩がてら30分強歩いて検査の場に向かった。
建物は大きくて、すぐに分かった。予約時間の4分前に到着した。そして、重装備気味の受付の人がいて、名前を伝える。待合室には、15人ほどどよーんといる。これは少し待たされるかと思ったら、すぐに受付番号を呼ばれて奥の個室(いくつかあったはず)で鼻に綿棒を差し込まれて、あっけなく終了。1分もかからなかった。料金は只だそう。気が楽になった帰り道は、全然寒くないし来た道とは別の大回りルートを通る。へえ、こんなところに銀杏並木があるのかとか、目新しい発見ばかり。なにげに楽しかった。これで、後日陽性が伝えられたら、けっこうるんるんだったあの日の帰り道を細い目をしながら思い出すのだろうか。と、ふと思った。はは。
なお、以上の検査状況は、世田谷区の場合。一緒に面談に行った姉にその件を伝えると、小平市は接触者には検査キットが送られ(到着は数日後らしい)、それを決められた場所に持ってくることを求められるという。しかも、持参可能なのが、月、水、金の9時半〜10時半という“殿様”仕様の時間設定なのだとか。こりゃ、ばっくれる人が出てきても不思議はない。夏に区長が独自にPCR検査をしやすくするとぶち上げたことがあったが(https://43142.diarynote.jp/?day=20200805)、これについては世田谷区は恵まれているのかもしれない。
24日11時すぎに世田谷保健所から電話があり、陰性であることが告げられる。人より新型コロナ・ウィルス感染回避には気を使ってきたつもりだし、具合も普通だし、平気だろうとは思っていたが、さすがに安堵を覚える。15日にはホスピス面談の後、プロ45周年記念のアルバム『Waves』(シンコー・ミュージック)を出す是方博邦(2009年5月19日 )さんにインタヴュー(1月9日、毎日新聞夕刊に記事が出ます)しているので、余計に胸をなでおろす。しかし、PCR検査は完全ではないので、29日までは要観察期間となり不要の外出を控えてください。との、こと。これで、年末は死んだふり。なんてこったい。生まれてこのかた、こんな地味な師走は初めてだーー。でも、新たな心持ち、状況を経験できるとポジティヴに捉えよう。お酒にも飲まれず、確実な感染防止にもなるし。そんなわけなので、もうぽんぽん原稿を出している。身に覚えのある編集者さん、そーゆーことなんです。みんな、いいクリスマスになりますように。
▶︎過去の、是方博邦
https://43142.diarynote.jp/200905221026266042/
https://43142.diarynote.jp/201204150902353350/
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