R.I.P.スペンサー・デイヴィス(1939年7月17日〜2020年10月19日)
2020年10月22日 音楽 1960年代のブルース/R&Bをベースとする英国ビート・ミュージックの代表的な担い手であったスペンサー・デイヴィスが、肺炎で入院中だったロサンゼルスの病院で亡くなった。1960年代中期、ギターや歌やハーモニカ担当の彼が率いるザ・スペンサー・デイヴィス・グループにはスティーヴ・ウィンウッド(2003年7月27日)が在籍したことで知られる。2000年代までグループ名や個人名でいろんな作品を出しているが、1970年代に入ると彼は生活費を得るためにアイランド・レコードに勤務したこともあった。アーティスト発掘に携わり、すでにその頃には米国在住だったという話もある。レゲエのサード・ワールド(2006年8月3日)は彼は契約したようだ。そんなデイヴィスは勉強家で、周りからプロフェッサーと一目置かれていたとも伝えられる。
▶︎過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
▶︎過去の、サード・ワールド
https://43142.diarynote.jp/200608041000150000/
<今日の、思い出>
スペンサー・デイヴィスはロングビーチの沖にあるリゾート地である、カタリナ島に住んでいたとも伝えられる。四半世紀ほど前に、一度カタリナ島に連れていってもらったことがあった。覚えているのは帰りの船がバカみたいに揺れたことと、その街並みが欧州的と感じさせたこと。カジノという場所もあったが、それはカジノではなかった。
▶︎過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
▶︎過去の、サード・ワールド
https://43142.diarynote.jp/200608041000150000/
<今日の、思い出>
スペンサー・デイヴィスはロングビーチの沖にあるリゾート地である、カタリナ島に住んでいたとも伝えられる。四半世紀ほど前に、一度カタリナ島に連れていってもらったことがあった。覚えているのは帰りの船がバカみたいに揺れたことと、その街並みが欧州的と感じさせたこと。カジノという場所もあったが、それはカジノではなかった。
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