1980年代以降、もっとも影響力と支持を誇ったロック・ギタリストと言えるだろうヴァン・ヘイレンのエドワード・ヴァン・ヘイレン(1955年1月16日〜2020年10月6日)がお亡くなりになった。2000年に舌癌であることが公表されたことがあり、その後も体調が万全ではないことがときに伝えられたりもしたが、ガンで闘病中であったという。

 彼には、1998年にロサンゼルスの自宅でインタヴューしたことがある。ゲイリー・シェローンを新シンガーに置いた新作『ヴァン・ヘイレン3』(ワーナー・ブラザーズ)をリリースする際だった。場所は丘陵地にあり、広大な敷地ゆえに移動用のゴルフ・カートも置かれていた。やはり、とっても人懐こい笑顔の持ち主だった。一時代をほとばしりに満ちたギター演奏で築いた御仁。享年65、人々が感じるロスは相当に大きそう。

 また、最初期にレゲエに臨み、大きな当たりを得たアフリカ系米国人シンガーであるジョニー・ナッシュ(1940年8月19日〜2020年10月6日)の訃報も届いた。生まれた土地であるテキサス州ヒューストンで、病気がちではあったものの自然死であると伝えられる。すでに1958年にはABCパラマウントからアルバム・デビューしていて、10代ながらそこには柔和な歌声を生かしたMOR/ポピュラー・シンガー路線が取られている。その後も、彼はそうした穏健路線を歩んでいて、作曲やアレンジやプロデュースもするようになり、1960年代中期にはマネージャーとともにジャマイカに住み、ジャマイカン・アーティストといろいろ付き合いをもったと言われる。また、長続きはしなかったもの1960年代後半には自らのレコード会社であるJADも本国で運営した。

 そんな一筋縄ではいかない彼の有名作が、キャディットを経てCBSコロムビアに移籍してリリースしたレゲエ要素をしなやかに取り入れた『アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ』(1972年)。その爽やかなタイトル・トラックは英米で1位を獲得する大ヒットとなりレゲエの存在を伝えるとともに、レイ・チャールズ、ホットハウス・フラワーズやジミ・クリフ他が後にカヴァーしている。なお、同作にはナッシュの自作曲とともに「スティアー・イット・アップ」らボブ・マーリー作の3曲やマーリーとナッシュの共作曲「You Poured Sugar On Me」も収められている。その後も、彼は1980年代中期まではいろいろとアルバムを出した

 少し雨が降り出した午後、六本木・ソニー・ミュージアムで、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ(2018年9月11日)のもろもろを紹介する「"DOUBLE FANTASY - John & Yoko" 」展のメディア内覧会に行く。昨年にジョン・レノンの故郷であるリヴァプールで持たれ、今度はオノ・ヨーコの生まれた東京でも、10月9日から(来年の1月11日まで)開かれる。場所は、ソニー・ミュージック六本木ミュージアム。東洋英和のそばですね。
 
 綺麗な白い壁群にいろいろな展示がなされる。ジョンとヨーコが出会ったころから年度順に、いろんなアイテムを盛り込みながら、入場者は2人の歩みを追体験していくこととなる。かなり配置/回廊構成がたくみで、知っていることであってもなるほどと頷きながら見れるし、初めて接するアイテムも多い。前衛アーティストだったヨーコの1966年の出し物を再現したものから、各種メモ(ヨーコって日本語とり英語の方が字がきれいなような)や書類、ジブラルタルの結婚式(1969年共同名義の『ウェディング・アルバム』のジャケット写真もそれかな?)で着ていた衣服まで、いろんなものが解説とともに並ぶ。また、2人の映像も何箇所かで流されており、それも興味深い。NYのセントラル・パークにあるジョンのメモリアル場所である“ストロベリー・フィールズ”を再現したコーナーや、ショーンも含めた軽井沢での様を伝えるコーナーはもあって、それは日本独自の展示のよう。

 2人の音楽に焦点を合わせるというよりは、唯一無二な関係性のもと様々な社会の壁や偏見に立ち向かった行動家としての2人に焦点を合わせているとも感じるが、それは正解の指針だろう。一方では、音楽アイテムの展示もあるし、会場を動いていくと、ときに流れてくるジョンの歌声やメロディには耳奪われて、えも言われぬ気持ちになる。音楽映像を流す“イマジン・シアター”という広めの場所も作られていた。

 最後は、七夕の短冊のように、自ら書いた紙片を木の葉っぱに結びつける部屋がある。それをオノ・ヨーコは過去の展覧会でやっており(その過去の模様は大きな写真で紹介されている)、ここでもじきにものすごい短冊のツリーができあがるんじゃないか。先に、白い壁が基調となる展覧会であることを触れたが、クリスマス期のキブンにも合いそう。そこで、ジョンの「ハッピー・クリスマス」とか聞いたら、じいーんとなっちゃうんじゃないか。普遍的な男女の関係を伝える展覧会でもあるし、カップルにもおすすめかな。

 出口前には、物販スペースが。もちろん、アイテム数は多し。両者のイラストのポスト・カード6枚セットは値段も手頃(1200円)。1971年に東京とニューヨークでなされた2人へのインタヴューの模様を透明レコードに彫った限定アナログも2種あり。

▶過去の、ヨーコ・オノ
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
https://43142.diarynote.jp/201809121745334226/ 新作
▶︎過去の、ジョンとヨーコを扱う映画
https://43142.diarynote.jp/201105282358273180/ ショーン・レノンの、両親を語るインタヴュー付き
▶︎過去の、ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm 15日

 その後は、京橋テアトル試写室で、2019年タイ映画を見る。監督/脚本/プロデュースは、1984年生まれのナワポン・タムロンラタナリット。これが7作目で、日本でも注目を受けている監督らしい。脱捨離に向き合う女性の家族関係や人間関係を描くものだが、よくぞこのストーリーを作ったなと思った。最後にもう一つなんか出来事を作ったほうがぼくとしてはより好みになるとは思うが、感心する。キャスティングもうまい。そして、頷くのは確かな都会性も抱えるこの映画に、ぼくが知るところのタイの風景は全然写っていないこと。これは、あらゆる都市に置き換えても違和感はまったくないはずであり、この映画のストーリー権を取った映画が他国で作られると聞いてもぼくは驚かない。メロディアスなものからジャジーなもの、効果音的な電気音まで、いろんな音楽をつけているジャイテープ・ラールンジャイは日本の音楽専門学校を今年卒業し、そのまま日本に滞在して、これらを作ったという。

<今日は、インタヴューもした。対面は久しぶり>
 試写会のあとは、大貫妙子(2005年9月14日、2009年1月16日、2016年9月27日 )にインタヴュー。場所は、銀座の音響ハウスのスタジオ1。広い録音ブースには、フルコンサートのグランド・ピアノも置いてあった。映画『音響ハウス Melody-Go-Round』(2020年9月4日)のプロモーション取材を彼女が受けてのもの。この日8つも取材が入っていたそうで、その7番目だったが、疲れた感じもなく接していただく。音響ハウスには30年ぶりぐらいに行った。たぶん改築がされていると思うが、映画で坂本龍一がエレベイター内を叩いた音を録り使ったということを語っていたが、ちょい感慨深い。このビルにはエレヴェイターは一つしかない。隣に映像アイテムを扱う映像館というビルもできていた。
 そういえば、昨日はジェイミー・カラム(2004年1月28日、2006年6月13日、2014年1月30日)の、<Jamie Cullum Zoom Christmas Showcase-クリスマス・アルバム・オンライン試聴会&生演奏->というものに、ズームで参加。日本、豪州、アジアの時差の少ない地域をプレスを対象とするもの(60人ぐらいの人が入っていたな)で、近くクリスマス・アルバムを出すカラムがいろいろしゃべり、クリスマス・ソングを次々にピアノで弾き語りする。30分強。ナット・キング・コールやフランク・シナトラら先達の表現に言及しもしたが、新作はグッド・オールド・タイムな部分をリッチに押し出すものとなるか。そのアルバムは、オーケストレーションつきなようだ。
▶︎過去の、大貫妙子
http://43142.diarynote.jp/200509161722260000/
http://43142.diarynote.jp/200901171017206901/
https://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
▶︎過去の、『音響ハウス Melody-Go-Round』
https://43142.diarynote.jp/202009051915549699/
▶過去の、ジェイミー・カラム
http://43142.diarynote.jp/200402051857060000/
http://43142.diarynote.jp/200606182131580000/
https://43142.diarynote.jp/201401311458223738/

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