クリーヴランド・イートンが4ヶ月にわたる入院のあと、アラバマ州バーミンガムで亡くなった。彼は生まれたアラバマ州フェアフィールドに居住していたはずなので、最後は入院のため近くの大都市であるバーミンガムに移っていたのだろうか。音楽一家に育ち、いろんな楽器に親しむとともに、楽器を家に持ち帰ることを許され、高校時代からダブル・ベースを弾くようになった。テネシー州の大学で音楽を学んだ後、彼はシカゴで活発に活動を始める。そのため、彼をシカゴ生まれとするあちらの記載も認められる。
東京オリンピックのころからバンキー・グリーンやソニー・コックスらキャデットのレコーディングに関わった。そして、「ジ・イン・クラウド」を大ヒットさせた(その威光を借り、リズム・セクションのエディ・ヤングとアイザック・ホルトは新たにピアニストを雇いヤング・ホルト・アンリミテッドとして新規活動する)、1965年からはラムゼイ・ルイス(2008年7月2日、2009年8月29日、2010年9月28日、2011年8月22日、2013年2月21日)のトリオに加入。その相棒ドラマーはE.W.&F. (2006年1月19日、2012年5月17 日)を後に組むモウリス・ホワイトだった。そのトリオで1968年には日本公演も行い、東京でのライヴ盤はキャディットからリリースされている。ホワイトが抜けて以降も彼はルイスのトリオにとどまり続けるとともに、テリー・キャリア(2002年5月21日、2004年4月19日、2005年2月17日、2007年3月8日、2009年9月15日)ら周辺のレコーディングに参加した。
とともに、弾んだ質感を持つベース演奏(ブーストもしていた)をしつつリーダーとしてもアルバムを発表する。P-ヴァインから日本盤も出ているブラック・ジャズ発の『Plenty Good Eaton』(1975年)は自らも歌い、ジャズとソウルが見事に溶け合った、当時の都会的なアフリカ系アメリカ人の生活感を描いた傑作として有名だ。彼の1970年代にはあと2枚リーダー作を出しているはずだが、その総花型グルーヴィ表現はいまだ有効だ。
そんなイートンは1980年ごろからカウント・ベイシーのオーケストラ(2010年12月28日、2011年9月3日、2014年12月22日)に加入し15年は在籍したはず。でも、キャラも立った彼(ルックスも風情あり)は親分亡き後(ベイシーは1984年に逝去)の著名ジャズ・ビッグ・バンドにしっかりとひっかかりをもたらしたのではないか。
1990年代中盤を回ると、彼はアラバマ州に戻り、悠々の音楽活動を続けていたようだ。
▶︎過去の、ラムゼイ・ルイス
http://43142.diarynote.jp/200807031119590000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090829
http://43142.diarynote.jp/201009290720426339/
http://43142.diarynote.jp/201109100857091783/
http://43142.diarynote.jp/201302281043262653/
▶過去の、E.W.&.F.
http://43142.diarynote.jp/200601271855390000/
http://43142.diarynote.jp/201205301252113538/
▶︎過去の、テリー・キャリア
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-5.htm
https://43142.diarynote.jp/200404190049350000/
http://43142.diarynote.jp/200502232039250000/
http://43142.diarynote.jp/200703101608130000/
http://43142.diarynote.jp/200909181206531984/
▶過去の、ベイシー・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/201101061048518045/
http://43142.diarynote.jp/201109121452527893/
https://43142.diarynote.jp/201412281018298837/
また、ウェスト・コーストの重鎮ドラマーであるジョー・ポーカロ(2015年11月14日)の訃報もとどいた。息子は、ドラムのジェフ、ベースのマイク、鍵盤のスティーヴ、3人の息子たちはTOTO(2011年9月27日)を結成。すでにジェフとマイクは鬼籍に入っている。最後は家族に看取られ、自宅でお亡くなりになったという。
当時先端の音楽であったジャズに邁進。業界入りし、スタジオ・ミュージシャン的な活動を始めて、映画音楽にも関わった。そして、メインストリームの移行とともに、ポップ側のセッションもしている。晩年はジャズ・ヴァイブラフォン奏者のエミール・リチャーズと一緒にコンボ活動をしており、その単位で来日(2015年11月14日)もした。
▶︎過去の、ジョー・ポーカロ
https://43142.diarynote.jp/201511181201122137/
▶過去の、TOTO
http://43142.diarynote.jp/201109300923303323/
<今日の、小さな世界>
ズームのミーティングは可能ですか? との、メールあり。やっぱ、そういうの疎い人間と思われているんだろうな。コロナ禍のおりテレワークが推進されるなかでズームが脚光を浴び始めたおりは、確かにオレには関係ねえと思っていた。だが、ある大学のゼミ授業にゲストで出たり、打ち合わせしたり、インタヴューしたりで、なにかと使うようになっている。でもって、取材がズームを介してのものだと、わざわざ外に出向かずできちゃって楽だ(し、時間のロスが少ない)なと思う自分がいる。うひゃあ。
とうぜん、ズームを使う場合はPCが置いてある仕事部屋でする(一度、居間にPCを持って出てやったら、いまいち塩梅が良くなかった)。その場合、机の背後は立派なラックを壁一面に設置してのCD群の壁。ズームの相手はまず、それにすごいですねと反応する。机の逆側はオーディオ機器とともにアナログ・レコード群の壁。反対だったらもっと格好いいのにと思うぼくは、小さな音楽的感性のなかで生きている? 普通だったら、綺麗な壁とともに、横には草木があり、またイケてるドロウイングとか飾ってあったほうが格好いいと思う?
東京オリンピックのころからバンキー・グリーンやソニー・コックスらキャデットのレコーディングに関わった。そして、「ジ・イン・クラウド」を大ヒットさせた(その威光を借り、リズム・セクションのエディ・ヤングとアイザック・ホルトは新たにピアニストを雇いヤング・ホルト・アンリミテッドとして新規活動する)、1965年からはラムゼイ・ルイス(2008年7月2日、2009年8月29日、2010年9月28日、2011年8月22日、2013年2月21日)のトリオに加入。その相棒ドラマーはE.W.&F. (2006年1月19日、2012年5月17 日)を後に組むモウリス・ホワイトだった。そのトリオで1968年には日本公演も行い、東京でのライヴ盤はキャディットからリリースされている。ホワイトが抜けて以降も彼はルイスのトリオにとどまり続けるとともに、テリー・キャリア(2002年5月21日、2004年4月19日、2005年2月17日、2007年3月8日、2009年9月15日)ら周辺のレコーディングに参加した。
とともに、弾んだ質感を持つベース演奏(ブーストもしていた)をしつつリーダーとしてもアルバムを発表する。P-ヴァインから日本盤も出ているブラック・ジャズ発の『Plenty Good Eaton』(1975年)は自らも歌い、ジャズとソウルが見事に溶け合った、当時の都会的なアフリカ系アメリカ人の生活感を描いた傑作として有名だ。彼の1970年代にはあと2枚リーダー作を出しているはずだが、その総花型グルーヴィ表現はいまだ有効だ。
そんなイートンは1980年ごろからカウント・ベイシーのオーケストラ(2010年12月28日、2011年9月3日、2014年12月22日)に加入し15年は在籍したはず。でも、キャラも立った彼(ルックスも風情あり)は親分亡き後(ベイシーは1984年に逝去)の著名ジャズ・ビッグ・バンドにしっかりとひっかかりをもたらしたのではないか。
1990年代中盤を回ると、彼はアラバマ州に戻り、悠々の音楽活動を続けていたようだ。
▶︎過去の、ラムゼイ・ルイス
http://43142.diarynote.jp/200807031119590000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090829
http://43142.diarynote.jp/201009290720426339/
http://43142.diarynote.jp/201109100857091783/
http://43142.diarynote.jp/201302281043262653/
▶過去の、E.W.&.F.
http://43142.diarynote.jp/200601271855390000/
http://43142.diarynote.jp/201205301252113538/
▶︎過去の、テリー・キャリア
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-5.htm
https://43142.diarynote.jp/200404190049350000/
http://43142.diarynote.jp/200502232039250000/
http://43142.diarynote.jp/200703101608130000/
http://43142.diarynote.jp/200909181206531984/
▶過去の、ベイシー・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/201101061048518045/
http://43142.diarynote.jp/201109121452527893/
https://43142.diarynote.jp/201412281018298837/
また、ウェスト・コーストの重鎮ドラマーであるジョー・ポーカロ(2015年11月14日)の訃報もとどいた。息子は、ドラムのジェフ、ベースのマイク、鍵盤のスティーヴ、3人の息子たちはTOTO(2011年9月27日)を結成。すでにジェフとマイクは鬼籍に入っている。最後は家族に看取られ、自宅でお亡くなりになったという。
当時先端の音楽であったジャズに邁進。業界入りし、スタジオ・ミュージシャン的な活動を始めて、映画音楽にも関わった。そして、メインストリームの移行とともに、ポップ側のセッションもしている。晩年はジャズ・ヴァイブラフォン奏者のエミール・リチャーズと一緒にコンボ活動をしており、その単位で来日(2015年11月14日)もした。
▶︎過去の、ジョー・ポーカロ
https://43142.diarynote.jp/201511181201122137/
▶過去の、TOTO
http://43142.diarynote.jp/201109300923303323/
<今日の、小さな世界>
ズームのミーティングは可能ですか? との、メールあり。やっぱ、そういうの疎い人間と思われているんだろうな。コロナ禍のおりテレワークが推進されるなかでズームが脚光を浴び始めたおりは、確かにオレには関係ねえと思っていた。だが、ある大学のゼミ授業にゲストで出たり、打ち合わせしたり、インタヴューしたりで、なにかと使うようになっている。でもって、取材がズームを介してのものだと、わざわざ外に出向かずできちゃって楽だ(し、時間のロスが少ない)なと思う自分がいる。うひゃあ。
とうぜん、ズームを使う場合はPCが置いてある仕事部屋でする(一度、居間にPCを持って出てやったら、いまいち塩梅が良くなかった)。その場合、机の背後は立派なラックを壁一面に設置してのCD群の壁。ズームの相手はまず、それにすごいですねと反応する。机の逆側はオーディオ機器とともにアナログ・レコード群の壁。反対だったらもっと格好いいのにと思うぼくは、小さな音楽的感性のなかで生きている? 普通だったら、綺麗な壁とともに、横には草木があり、またイケてるドロウイングとか飾ってあったほうが格好いいと思う?
コメント