ギニアの有名なグリオの家系マンディンカに生まれたシンガー/コラ奏者の、モリ・カンテ(2006年8月4日)が、首都コナクリの病院で逝去した。カンテは慢性疾患に苦しみ、度々フランスで治療を受けていたものの、新型コロナ・ウィルスの流行によりそれが叶わなくなってしまっていた。が、急な死であっという。享年、70歳。

 7歳からマリで音楽修行を始め、20歳ちょいでサリフ・ケイタが在籍したグループに加わり、その2年後にケイタが独立したあとはそのフロントに立った。ソロとしては1982年にアイヴォリー・コーストのレーベルからセルフ・タイトルのアルバムを出し、その後は仏バークレーを中心にからいろいろな財産を背負う今のアフリカを伝えるプロダクツを送出。1988年に「イエケ・イエケ」が欧州で100万枚を超える大ヒットとなり、彼はワールド・ミュージックのブームを作る中心人物となった。張りのある歌唱と優美なコラ演奏はイスラム教徒であり、その流れの曲も歌った。

▶︎過去の、モリ・カンテ
https://43142.diarynote.jp/200608051211470000/

 また、レゲエ・ダンスホールの黄金期を支えた名プロデューサーのボビー“ディジタル”ディクソンも、腎臓病でお亡くなりになっている。エンジニアからキャリアを始め、シャバ・ランクス、シャインヘッド、ビーニー・マン、ブジュ・バンドン、ルチアーノ(2006年8月19日)他、いろんな人を手がけた。妻と子供3人、孫2人がいるそうだが、ジャマイカ人である彼はちゃんと1人と結婚した人なのか。ウータン・クランのRZAも別名でボビー・ディジタルと名乗るが、彼とは関係がない(はず)。

▶︎過去の、ルチアーノ
https://43142.diarynote.jp/200608201821080000/

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