R.I.P.トニー・アレン(1940〜2020年4月30日)
2020年4月30日 音楽 生まれた日が公表されていない、偉大なナイジェリアのラゴス生まれのドラマーであるトニー・アレン(2003年9月26日、2019年1月23日)が急死した。元気に知人と電話で話していたのだが、その2時間後に病院に運ばれ、亡くなってしまったのだという。死因は発表されていないが、新型肺炎が死因ではないそうだ。
1960年代半ばにフェラ・クティと出会い、1979年まで彼のバンドに在籍し膨大な作品群に関与。1980年代中期以降はパリに居住するアレンはフェラのバンド時代在籍時からリーダー・アルバムをリリースし、今まで20作ほど自己名義盤を出し、また鷹揚に様々な人とも絡んでいる。そんなアレンの今のところの直近作は、南アのトランペッター/シンガーのヒュー・マセケラ(2005年7月20日)との連名作『Rejoice』(World Circuit,2020年)。アレンが出すアフロ・ビートとマセケラ流儀のおおらかなアフロ・ポップ感覚が折り合う好盤で、鍵盤のジョー・アーモン・ジョーンズ(2019年6月2日)やテナー・サックス奏者のスティーヴ・ウィリアムソンら英国人の名も参加者に見られる。だが、マセケラは2018年1月23日にヨハネスブルグで亡くなっているので、旧セッションを商品化したものだろう。
以下は、2019年1月24日に、イントキシケイト誌の記事のためにブルーノート東京の楽屋で行なったインタヴューである。「すんだことには興味がないんじゃ」と言いつつ、興味ある質問には笑顔で答えてくれたっけ。もちろん、元気でした。数少ないアフリカの英語公用語国であるナイジェリア出身ゆえ、取材は英語にてなされた。とはいえ、フランス語(スペイン語はもっと)がhを発音しないように、彼もそうする傾向にありました。
——あなたはいろいろなアルバムを出しています。アフロ・ビートを作った名ドラマーと言われるのと、優れたリーダーといわれるのいではどちらがうれしいですか?
「フェラ・クティと一緒にやっていて、そう言われているから、皆んなは僕をアフロ・ビートのドラマーと認知している。だが、僕自身はアフロ・ビートのドラマーとは思っていない。僕はいろんなスタイルをできるドラマーなんだよ」
——それで、あなたは今ブルーノートからジャズ色の強いアルバムを出していますが、アート・ブレイキーはあなたのフェイヴァリット・ドラマーなんですか(その初作『A Tribute to Art Blakey and the Jazz Messengers』は、アート・ブレイキーのブルーノートのデビュー時に倣い、10インチの4曲入りアナログでリリースされた)?
「アート・ブレイキーは、最初からぼくのアイドルなんだ。20歳からプロのドラマーとして活動を始めたんだが、17歳から聞いている」
——では、アフロ・ビートのドイラミングにはジャズの技術や素養も生かされているわけですね。
「そのとおり。その前にアフロ・ビートというものはなかったからね。それで、ダンス・クラブで演奏を始めたんだけど、それだとラジオでかかる音楽のいかなるビートを叩けなきゃいけなかった。クイックステップ、タンゴ、ルンバ、ブーガルー……いろんなことをできなくてはならなかった。ハイライフやフジとか西アフリカの音楽だけじゃなくね」
——そうしたなか、ターニング・ポイントは?
「音楽的なことかい? キャリアのなかでのターニング・ポイントはない。なぜなら、ずっと音楽をやってきたからね。音楽をやりたいと思ってこの世界に入り、一生懸命やってきただけだ。そりゃいいことも悪いこともあったよ。でも、ずっとまっすぐに音楽をやり続けてきたということだね」
——ナイジェリアから、1984年にまず英国に行きました。でも、すぐにパリに移り、住み続けていますよね。パリは音楽をしやすい街ですか。
「そうだね。ナイジェリアは英国の植民地だったから、最初はUKに向かったけど、そこで仕事をするのは楽じゃなかった。労働許可証とか必要とされたしね。EPは1枚作ったけど、いろんなことがうまくいかず、ここからすぐに出たいと思った。フランスでは契約を取れて、ミュージシャンたちもプロフェッショナルであった。英国は昼間は普通に働いているミュージシャンが多かったけど、フランスはそうではなかった。英国でバンドを持つのは大変だった」
——ブルーノートからアルバムを出すというのは、とうぜん喜びであるんでしょうか。
「もちろんさ。最初にアート・ブレキーを知ったレコードもブルーノートのものだったし、ブルーノートからレコードを出すというのは17歳のころからの夢だった。だから、喜びはある。ブルーノートは僕のやりたいようにやらせてくれるしね。アート・ブレイキーを聞いてきた僕はどんなスタイルでブルーノートでやったらいいかはよく知っているわけだからね。。今、トニー・ウィリアムズのトリビュート作をドン・ワズ(2013年2月15日、2019年6月12日、2019年6月13日、2019年6月14日)から依頼されて作っているよ」
——新作『ザ・ソース』(ブルーノート、2017年)にはデイモン・アルバーン(2003年5月31日)もピアノで入っています。過去ににも彼とはいろいろ絡んでいますし、仲がいいですね。
「彼とは2000年から友達なんだ。アルバムで歌ってと頼んだことがあり、一緒に曲も作っている。そこから友達になり、いろんなプロジェクトをやるようになった」
——新作『 The Seed』(Decca,2018)はジェフ・ミルズ(2017年11月7日、2017年11月10日、2018年11月6日)との連名作ですが、彼とはどういう感じで一緒に?
「彼のマネージャーと僕のマンージャーが話し合って、決めたプロジェクトだ。彼はいろんな機材を使って音を作る人だけど、なんか一緒にやろうとなった。彼は機材を使い、僕はドラム・セットだけど、2、3日かけて、その二つのものをうまく組み合わせたアルバムだね」
——フィランドのクリエイターであるジミ・テナーとも複数の協調アルバムを出していますが、やっぱりいろんな人と好奇心旺盛にコラヴォレートしたいという思いは持っていますよね。
「話があったら、そのプロジェクトに参加する。そして、僕はそのプロジェクトに適切なものを提供する。好きなことなので、僕の性格としてフレキシブルにことにあたるよね。僕はチャレンジするのが好きなんだ。だから、自分がやらないスタイルの音楽であっても、依頼があれば僕は参加するようにしている」
——ところで、(けっこう、いい感じで衣服をまとめているので)お洒落は好きですか?
「ああ、僕はクールだろ。僕って、何かとバランスを取るのが好き。その一方、何かを強要すると言うのが好きではない。それが人生の極意だね」
▶︎過去の、トニー・アレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm
https://43142.diarynote.jp/201901241310023413/
▶過去の、ヒュー・マセケラ
http://43142.diarynote.jp/200507220552110000/
▶︎過去の、ジョー・アーモン・ジョーンズ
https://43142.diarynote.jp/201906050930429178/
▶︎過去の、ドン・ワズ
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
https://43142.diarynote.jp/201906151230594715/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
▶︎過去の、トニー・ウィリアムズへのトリビュート公演
https://43142.diarynote.jp/200812281442184528/
▶過去の、デイモン・アルバーン/ブラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm
▶︎過去の、ジェフ・ミルズ
http://43142.diarynote.jp/201711080729053828/
https://43142.diarynote.jp/201711110810235717/
https://43142.diarynote.jp/201811071446015153/
1960年代半ばにフェラ・クティと出会い、1979年まで彼のバンドに在籍し膨大な作品群に関与。1980年代中期以降はパリに居住するアレンはフェラのバンド時代在籍時からリーダー・アルバムをリリースし、今まで20作ほど自己名義盤を出し、また鷹揚に様々な人とも絡んでいる。そんなアレンの今のところの直近作は、南アのトランペッター/シンガーのヒュー・マセケラ(2005年7月20日)との連名作『Rejoice』(World Circuit,2020年)。アレンが出すアフロ・ビートとマセケラ流儀のおおらかなアフロ・ポップ感覚が折り合う好盤で、鍵盤のジョー・アーモン・ジョーンズ(2019年6月2日)やテナー・サックス奏者のスティーヴ・ウィリアムソンら英国人の名も参加者に見られる。だが、マセケラは2018年1月23日にヨハネスブルグで亡くなっているので、旧セッションを商品化したものだろう。
以下は、2019年1月24日に、イントキシケイト誌の記事のためにブルーノート東京の楽屋で行なったインタヴューである。「すんだことには興味がないんじゃ」と言いつつ、興味ある質問には笑顔で答えてくれたっけ。もちろん、元気でした。数少ないアフリカの英語公用語国であるナイジェリア出身ゆえ、取材は英語にてなされた。とはいえ、フランス語(スペイン語はもっと)がhを発音しないように、彼もそうする傾向にありました。
——あなたはいろいろなアルバムを出しています。アフロ・ビートを作った名ドラマーと言われるのと、優れたリーダーといわれるのいではどちらがうれしいですか?
「フェラ・クティと一緒にやっていて、そう言われているから、皆んなは僕をアフロ・ビートのドラマーと認知している。だが、僕自身はアフロ・ビートのドラマーとは思っていない。僕はいろんなスタイルをできるドラマーなんだよ」
——それで、あなたは今ブルーノートからジャズ色の強いアルバムを出していますが、アート・ブレイキーはあなたのフェイヴァリット・ドラマーなんですか(その初作『A Tribute to Art Blakey and the Jazz Messengers』は、アート・ブレイキーのブルーノートのデビュー時に倣い、10インチの4曲入りアナログでリリースされた)?
「アート・ブレイキーは、最初からぼくのアイドルなんだ。20歳からプロのドラマーとして活動を始めたんだが、17歳から聞いている」
——では、アフロ・ビートのドイラミングにはジャズの技術や素養も生かされているわけですね。
「そのとおり。その前にアフロ・ビートというものはなかったからね。それで、ダンス・クラブで演奏を始めたんだけど、それだとラジオでかかる音楽のいかなるビートを叩けなきゃいけなかった。クイックステップ、タンゴ、ルンバ、ブーガルー……いろんなことをできなくてはならなかった。ハイライフやフジとか西アフリカの音楽だけじゃなくね」
——そうしたなか、ターニング・ポイントは?
「音楽的なことかい? キャリアのなかでのターニング・ポイントはない。なぜなら、ずっと音楽をやってきたからね。音楽をやりたいと思ってこの世界に入り、一生懸命やってきただけだ。そりゃいいことも悪いこともあったよ。でも、ずっとまっすぐに音楽をやり続けてきたということだね」
——ナイジェリアから、1984年にまず英国に行きました。でも、すぐにパリに移り、住み続けていますよね。パリは音楽をしやすい街ですか。
「そうだね。ナイジェリアは英国の植民地だったから、最初はUKに向かったけど、そこで仕事をするのは楽じゃなかった。労働許可証とか必要とされたしね。EPは1枚作ったけど、いろんなことがうまくいかず、ここからすぐに出たいと思った。フランスでは契約を取れて、ミュージシャンたちもプロフェッショナルであった。英国は昼間は普通に働いているミュージシャンが多かったけど、フランスはそうではなかった。英国でバンドを持つのは大変だった」
——ブルーノートからアルバムを出すというのは、とうぜん喜びであるんでしょうか。
「もちろんさ。最初にアート・ブレキーを知ったレコードもブルーノートのものだったし、ブルーノートからレコードを出すというのは17歳のころからの夢だった。だから、喜びはある。ブルーノートは僕のやりたいようにやらせてくれるしね。アート・ブレイキーを聞いてきた僕はどんなスタイルでブルーノートでやったらいいかはよく知っているわけだからね。。今、トニー・ウィリアムズのトリビュート作をドン・ワズ(2013年2月15日、2019年6月12日、2019年6月13日、2019年6月14日)から依頼されて作っているよ」
——新作『ザ・ソース』(ブルーノート、2017年)にはデイモン・アルバーン(2003年5月31日)もピアノで入っています。過去ににも彼とはいろいろ絡んでいますし、仲がいいですね。
「彼とは2000年から友達なんだ。アルバムで歌ってと頼んだことがあり、一緒に曲も作っている。そこから友達になり、いろんなプロジェクトをやるようになった」
——新作『 The Seed』(Decca,2018)はジェフ・ミルズ(2017年11月7日、2017年11月10日、2018年11月6日)との連名作ですが、彼とはどういう感じで一緒に?
「彼のマネージャーと僕のマンージャーが話し合って、決めたプロジェクトだ。彼はいろんな機材を使って音を作る人だけど、なんか一緒にやろうとなった。彼は機材を使い、僕はドラム・セットだけど、2、3日かけて、その二つのものをうまく組み合わせたアルバムだね」
——フィランドのクリエイターであるジミ・テナーとも複数の協調アルバムを出していますが、やっぱりいろんな人と好奇心旺盛にコラヴォレートしたいという思いは持っていますよね。
「話があったら、そのプロジェクトに参加する。そして、僕はそのプロジェクトに適切なものを提供する。好きなことなので、僕の性格としてフレキシブルにことにあたるよね。僕はチャレンジするのが好きなんだ。だから、自分がやらないスタイルの音楽であっても、依頼があれば僕は参加するようにしている」
——ところで、(けっこう、いい感じで衣服をまとめているので)お洒落は好きですか?
「ああ、僕はクールだろ。僕って、何かとバランスを取るのが好き。その一方、何かを強要すると言うのが好きではない。それが人生の極意だね」
▶︎過去の、トニー・アレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm
https://43142.diarynote.jp/201901241310023413/
▶過去の、ヒュー・マセケラ
http://43142.diarynote.jp/200507220552110000/
▶︎過去の、ジョー・アーモン・ジョーンズ
https://43142.diarynote.jp/201906050930429178/
▶︎過去の、ドン・ワズ
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
https://43142.diarynote.jp/201906151230594715/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
▶︎過去の、トニー・ウィリアムズへのトリビュート公演
https://43142.diarynote.jp/200812281442184528/
▶過去の、デイモン・アルバーン/ブラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm
▶︎過去の、ジェフ・ミルズ
http://43142.diarynote.jp/201711080729053828/
https://43142.diarynote.jp/201711110810235717/
https://43142.diarynote.jp/201811071446015153/
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