R.I.P.ハミルトン・ボハノン(1942年3月7日〜2020年4月24日)
2020年4月26日 音楽 米国ブラック・ミュージックの側面にしっかりと功績を残す、ものすごーく才豊かなクリエイターであるハミルトン・ボハノンの訃報が届いた。生まれた土地であるジョージア州ニューナンには彼の名前を冠した通りがあり、彼は同地で亡くなっている。アトランタにあったクラーク・カレッジで音楽と教育を学び、卒業後は教職についたこともあった。78歳、死因を報じている記事は、ぼくの知る限りない。彼の親は、理髪店をやっていた。
ジミ・ヘンドリックス(同じ年で、ジョージア州時代に一緒にバンドをやったという海外の記載が複数ある。ヘンドリックスが空軍除隊後、一時南部に住んだときのことだろうか?)、リトル・スティーヴィー・ワンダー(1964年に彼は、13歳だったワンダーのバック・バンドにドラマーとして加入。その流れで、モータウンとの関係を強めデトロイトに引っ越し、いろんな同社のアーティストの実演をサポートするバンドを仕切った。2005年11月3日、2010年8月8日、2012年3月5日)、マーヴィン・ゲイ(ドラマーに留まらぬ彼の才能を見抜き、彼の曲を複数取り上げている。『ワッツ・ゴーイン・オン』ではドラマーとしても参加)、カール・デイヴィス(彼はソロ・アーティストとして、シカゴ・ソウルの名士であるデイヴィスが仕切るダカールから、個性的なプロダクツを6作品出す。その後は、マーキュリーから彼は質の高いアルバム群を出した)など、彼の歩みに触れようとすると、ビッグ・ネームを書かなければいけない。
義理堅い敬虔なクリスチャンであったそうで、彼はモータウンがロサンジェルスに移った後も、デトロイトに留まることを選び、その人脈を活用する方向でリーダー活動を持った。それらをさして、ディスコ・ミュージックのオリジネイターという言い方もされる。だが、甘いマスクを持ちつつも過剰に浮つくところがない、インスト部にも多大な妙味を持たせた彼のプロダクツは結構ジャジーでもあり、北の高潔なアイザック・ヘイズなんて、その才をぼくは書き留めたくもなる。
実は、彼の表現をなにげに取り込んでいるのが、1970年代下半期のダンサブル路線を取った際のハービー・ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日、2014年9月7日、2015年9月6日、2016年9月3日、2018年9月1日)。ボハノンの初ソロ『Stop And Go』(Dakar,1973 年)のギター参加者は、ワー・ワー・ワトソン(2005年8月21日、2018年10月27日)とレイ・パーカーJr.(2005年3月8日、2011年5月17日、2012年9月8日、2018年3月28日、2020年1月16日 )のコンビ(ハンコックはその二人を後に重用)。ヴォーカルの使い方(ボハノンは歌わない人だった)からベース・ラインまで、ハンコックの『マン・チャイルド』(Columbia,1975年)らはボハノン表現の要点とけっこう重なる。もしかすると、マーキュリー時代のボハノンの表現は逆にハンコックから刺激を受けて作った部分もあったかもしれない。
1990年代をまわり彼は地元でゆったりした生活を求めたが、ヒップホップ時代になってジェイ・Z(2010年8月7日)やスヌープ・ドッグ(2006年4月2日)他様々な人たちが彼の音をサンプリング使用した。そんな彼は息子と音楽制作を行いもし、自らの初期の歩みを中心とする本も出したようだ。その死に際し、彼の作品群を聞き返し、潮の満ち引きのような気持ちのいい持続性も抱えた彼のグルーヴ・ミュージックのすごさを、ぼくは今再確認している。
▶過去の、スティーヴィー・ワンダー
http://43142.diarynote.jp/200511130015240000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
▶過去の、アイザック・ヘイズ
http://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
▶︎過去の、ワー・ワー・ワトソン
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
https://43142.diarynote.jp/?day=20181027 訃報
▶︎過去の、レイ・パーカーJr.
http://43142.diarynote.jp/200503120546520000/
http://43142.diarynote.jp/201105181052427410/
http://43142.diarynote.jp/201209191209186663/ ジョー・サンプル&ザ・クリオール・ジョー・バンド
https://43142.diarynote.jp/201803290839504415/
https://43142.diarynote.jp/202001181114377911/
▶過去の、ハービー・ハンコック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903/
https://43142.diarynote.jp/201809051532324111/
▶過去の、ジェイ・Z
http://43142.diarynote.jp/201008261617154352/
▶︎過去の、スヌープ・ドッグ
https://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
https://43142.diarynote.jp/201707141126579276/ 彼がちょい出た映画
ジミ・ヘンドリックス(同じ年で、ジョージア州時代に一緒にバンドをやったという海外の記載が複数ある。ヘンドリックスが空軍除隊後、一時南部に住んだときのことだろうか?)、リトル・スティーヴィー・ワンダー(1964年に彼は、13歳だったワンダーのバック・バンドにドラマーとして加入。その流れで、モータウンとの関係を強めデトロイトに引っ越し、いろんな同社のアーティストの実演をサポートするバンドを仕切った。2005年11月3日、2010年8月8日、2012年3月5日)、マーヴィン・ゲイ(ドラマーに留まらぬ彼の才能を見抜き、彼の曲を複数取り上げている。『ワッツ・ゴーイン・オン』ではドラマーとしても参加)、カール・デイヴィス(彼はソロ・アーティストとして、シカゴ・ソウルの名士であるデイヴィスが仕切るダカールから、個性的なプロダクツを6作品出す。その後は、マーキュリーから彼は質の高いアルバム群を出した)など、彼の歩みに触れようとすると、ビッグ・ネームを書かなければいけない。
義理堅い敬虔なクリスチャンであったそうで、彼はモータウンがロサンジェルスに移った後も、デトロイトに留まることを選び、その人脈を活用する方向でリーダー活動を持った。それらをさして、ディスコ・ミュージックのオリジネイターという言い方もされる。だが、甘いマスクを持ちつつも過剰に浮つくところがない、インスト部にも多大な妙味を持たせた彼のプロダクツは結構ジャジーでもあり、北の高潔なアイザック・ヘイズなんて、その才をぼくは書き留めたくもなる。
実は、彼の表現をなにげに取り込んでいるのが、1970年代下半期のダンサブル路線を取った際のハービー・ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日、2014年9月7日、2015年9月6日、2016年9月3日、2018年9月1日)。ボハノンの初ソロ『Stop And Go』(Dakar,1973 年)のギター参加者は、ワー・ワー・ワトソン(2005年8月21日、2018年10月27日)とレイ・パーカーJr.(2005年3月8日、2011年5月17日、2012年9月8日、2018年3月28日、2020年1月16日 )のコンビ(ハンコックはその二人を後に重用)。ヴォーカルの使い方(ボハノンは歌わない人だった)からベース・ラインまで、ハンコックの『マン・チャイルド』(Columbia,1975年)らはボハノン表現の要点とけっこう重なる。もしかすると、マーキュリー時代のボハノンの表現は逆にハンコックから刺激を受けて作った部分もあったかもしれない。
1990年代をまわり彼は地元でゆったりした生活を求めたが、ヒップホップ時代になってジェイ・Z(2010年8月7日)やスヌープ・ドッグ(2006年4月2日)他様々な人たちが彼の音をサンプリング使用した。そんな彼は息子と音楽制作を行いもし、自らの初期の歩みを中心とする本も出したようだ。その死に際し、彼の作品群を聞き返し、潮の満ち引きのような気持ちのいい持続性も抱えた彼のグルーヴ・ミュージックのすごさを、ぼくは今再確認している。
▶過去の、スティーヴィー・ワンダー
http://43142.diarynote.jp/200511130015240000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
▶過去の、アイザック・ヘイズ
http://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
▶︎過去の、ワー・ワー・ワトソン
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
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▶︎過去の、レイ・パーカーJr.
http://43142.diarynote.jp/200503120546520000/
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http://43142.diarynote.jp/201209191209186663/ ジョー・サンプル&ザ・クリオール・ジョー・バンド
https://43142.diarynote.jp/201803290839504415/
https://43142.diarynote.jp/202001181114377911/
▶過去の、ハービー・ハンコック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
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▶過去の、ジェイ・Z
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▶︎過去の、スヌープ・ドッグ
https://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
https://43142.diarynote.jp/201707141126579276/ 彼がちょい出た映画
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