在ニューヨークの唯一無二の音楽プロデューサー/キュレイターである、ハル・ウィルナーが新型肺炎の合併症で、誕生日の翌日に夭折した。

 アトランティックでジャズやソウルのプロデュースをいろいろと行い、その後自己レーベルの32ジャズ他を持ちつつフリーで活動したジョエル・ドーンのアシスタント(1970年代末のこと)を経て業界入り。一時はタクシーの運転手などもして、生計を立てたこともあったという。ウィルナーと言えば、なんと言ってもジャズからロックまで鬼のように幅広い個性派/実力派ミュージシャンを把握し扱うことで知られたが、その人脈は人気TV番組「サタデー・ナイト・ライヴ」の音楽作りに関わることで得たという。

 ニーノ・ロータ、セロニアス・モンク、クルト・ワイル、ディズニー音楽、チャールズ・ミンガスなどをテーマに起き、様々なミュージシャンが自由に創造性を発揮したトラック(そこで畑違いのミュージシャンが一緒にやったりするのも魅力的だった)を出し合うコンピレーション群には本当に痺れました。もちろん、マリアンヌ・フェイスフルやティム・ロビンス(2011年8月10日)他、個人のアルバム制作にも関わったし、個性的なコンサート/イヴェント企画もいろいろ作ったいう。

 そんな彼には、1990年代前半に一度インタヴューしたことがあった。三宅純(2012年6月30日、2016年11月10日、2016年11月16日、2018年11月25日)の『星ノ玉ノ緒』(1993年)のリリースに際し、ソニーがそのプロデューサーを務めたウィルナーをプロモーションで呼んだとき。そのA&Rは同社洋楽のMさんだったかな? 午後、インタヴューの場に行くと、ウィルナーは目がトローンとしていてヘロヘロ。聞けば、ちょうど来日中だったU2(2006年12月4日)のボーノから会おうよと連絡があり、朝まで飲んじゃって二日酔いなのだという。ぼくは、二日酔いには寛大だ。

 ハル・ウィルナーとキップ・ハンラハン(2000年1月12日、2001年5月15日、2011年12月8日)のお二人こそは、ぼくにとって音楽制作の無限の作法と愉悦を伝える際たる存在だった。

▶︎過去の、ティム・ロビンス
https://43142.diarynote.jp/201108101642342395/
▶︎過去の、三宅純
http://43142.diarynote.jp/201207031354181031/
http://43142.diarynote.jp/201611111651363466/
https://43142.diarynote.jp/201611171021419374/
https://43142.diarynote.jp/201811261330313740/
▶過去の、U2
http://43142.diarynote.jp/200612070141170000/
▶過去の、キップ・ハンラハン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/

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