映画「グリーンブック」。ローレンス
2019年1月29日 音楽 「話題になっているので、試写場が30分前に満員になったみたいです」。と、先に見た知人からの伝言。そしたら、そんなことはなかったが、もうとても興味深く、べらぼうに面白い2018年米国映画だった。見たあとの所感の良さは、ここ数年で1番と思った。
実話をもとにした作品。当然、主人公のトニー・リップ(1930〜2013年)とドン・シャーリー(1927〜2013年)は実在の人物。時代は、1962年。無教養で下品で粗暴なイタリア系用心棒と教養高くで上品で物静かな黒人ピアニスト(売れっ子、ゆえに金持ち)が主役の映画である。米国にジム・クロウ法がまだあった時代の二人の関わりを扱い、北部と南部のカラードの扱いの違いを克明に描いている。二人は興行で中西部から南部へと周り(ロード・ムーヴィでもあります)、クリスマス・イヴにともに住むニューヨークに帰ってくる(心温まるクリスマス映画でもあるか)のだが、いろんなところ、よくできている。表題のグリーン・ブックとはカラードが隔離されていた時代に、1936年から66年にかけて出版されていた黒人が利用可能な施設を紹介した旅行ガイド本であるという。そんなのがあるのは知らなかった。ブルース・アンド・ソウル・レコーズ誌にこの映画の原稿を書くので、これぐらいにしておきます。
なお、驚いたのは、プロフェッサー・ロングヘアの「マルディグラ・イン・ニューオーリンズ」がエンド・ロールに使われたりもする、この映画の音楽をコンコードから1枚リーダー・アルバムを出し、マーカス・ミラーやホセ・ジェイムズのサポートで来日したこともあるキーボード奏者のクリス・バワーズ(2014年7月27日)が担当していること。2014年にとった、彼へインタヴューを載せておく。もともとはCDジャーナル誌ように取ったものだ。
——唐突ですが、本や雑誌は好きですか?
「うん、かなりね」
——あなたのデビュー作『ヒーロー+ミスフィッツ』(コンコード、2014年)のタイトルはどういう意味を持つのでしょう。
「“ヒーロー”と“ミスフィッツ”は、僕たちの世代をうまく表現している言葉だと思う。僕たちの世代を“ヒーロー”世代だと言っている記事があって、それを読んで、すごく面白いなと思った。僕たちの世代はソーシャル・メディアが身近にあり、世界に対してポジティヴな変化をもたらせる力を持っているんだそう。一方、“ミスフィッツ(ならず者)”は僕自身のことを指す。個人としてありのままの自分を出した時に、そういうふうに思われてしまうからね」
——曲のタイトルを見ても、いろんな意志を込めているようにも思えて、あなたは本を読んでいる人なのだろうと思ったんです。
「そう思ってもらえて、とてもうれしい。学生時代は音楽中心でずっと来たから、歴史の授業とかをないがしろにしていた。でも、この年になってやっと歴史や過去に興味を持ち、いろんなものを読んで勉強しているんだ」
——1989年生まれというと、とうぜん物心がついたときにはヒップホップが溢れている世代ですよね?
「そうだね、あとロックもね。10代のときは、スマッシング・パンプキンズとかも聞いていたよ。とはいえ、4歳のときから“鈴木メソード”でピアノを弾き始め、8歳からクラシックの個人レッスンも受けてきた」
——恵まれた環境だったようですね?
「うん。僕がやりたいと思うことを全部やらせてくれて、僕は両親に恵まれたよね。たとえば、数ヶ月だけだったけど漫画家になりたいと思ったことがあって、そのときも家から車で1時間近く離れた教室に毎週末に連れていってくれたりと、僕がやりたいことを必ずサポートしてくれる親だった」
——ミュージシャンンになりたいと思ったのは、わりと早くからですか?
「ミュージシャンになりたいというのと漫画家になりたいというのが同じぐらいのときかな。芸術系の高校に入ったんだけど、そこに入るときには絵描きのほうに進みたかった。でも、絵のポートフォリオがそこに入学できるレヴェルじゃなかった。それで、まず音楽のほうで高校に入り、2年目から美術のほうに移ろうと思っていたんだけど、音楽のほうが面白くなり、音楽を続けてやることに決めたんだ」
——今でも絵を描きます?
「いや、描かない。いつかは勉強し直したいとは思っているんだけど。グラフィック・デザインも少しはかじっているけど、ちゃんとはやっていないので、いずれはもう一回やり直したいな」
——17歳からジュリアード音楽院に通ったようですが、飛び級で入ったのですか?
「実は、幼稚園は2年早く、3歳から入った。それで、幼稚園は普通の子供よりも1年長く通ったけど、小学校以降も、僕は他の人よりいつも1歳若かったんだ」
——ジュリアード入学以降は、NYに住んでいるんですよね。やはり、音楽をやるにはNYが適していますか。
「それは、やる音楽にもよるよね。ジャズをやるのであれば、やはりNYは最高。演奏できる場所は多いし、ミュージシャンの質も高いし。でも、映画音楽をやりたかったり、ブリトニー・スピアーズと演奏したいのだったら、LAの方がいいだろうな」
——では、あなた自身はジャズのミュージシャンだと思っている?
「(虚をつかれたという感じで)あー、ええとねえ……。音楽はいろんなことをやるし、どんなことをできるとも、僕は思っている。音楽だけでなく何をやっていても、その中で一番大きな因子は人種であると思う。やはりアフリカン・アメリカンであるということで、こうあるべきだとか、そういうことがついて回ってしまう。それは避けられないもので、何をやってもそこにたどり着く。それと同じように、僕が一番勉強してきていて、一番やってきた音楽というのがジャズであり、僕の根底にはジャズがある。アフリカン・アメリカンであるという属性とともに、そこからは逃れられない」
——アフリカン・アメリカンであること、ジャズをしっかり通って来たことを肯定しつつも、そこから大きく離れようとする指針を、あなたのアルバムは持っています。これだけポップ・ミュージック側に踏み込んだエクレクティックなアルバムをレコード会社はよく作らせたなと思います。
「それには、僕も驚いている(笑い)。今作は、コンコードのA&Rのクリス・ダンと綿密に連絡を取り合いながら作ったんだ。でも、すべてにおいて、それでいいよと快諾されて、これで本当にいいのかと思いながら作っていた部分はあったな」
——あなたは、映画音楽が大好きなんですよね。そこで、一つ合点がいったことがあります。オーケストラを使った荘厳なものからエレクトロニカなものまで、どんな音楽でも映画に合っていれば良い映画音楽として認知されます。それに倣えば、どんな傾向の曲も新世代を自認するクリス・バワーズを顕す音楽と取れば、何をやっていてもあなたのサウンドラックとして違和感なく接することができます。
「そう思ってもらえるなら、うれしいなあ。まったくそのとおりだと思う。ああ、僕のサウンドトラックと取ってもらっていい。やはり、映画音楽は映画が持つ感情であったり、アイデアであったりを、音で表現する。受け手は映画を見ながらその曲を聞くことで、そこにある感情をより大きく増幅させる。それと同じことを、僕は今作で意識的にやったんだ」
——アルバムには複数のゲストによるヴォーカル曲も入っています。やはり、感情を直接的に表現するには、歌が必要だと判断したわけですか?
「すべての曲にヴォーカルが必要だとは思わない。でも、歌が入ることによって、伝えたいことが直接的になるという利点はあると思う。やはり、インストゥメンタルより歌詞があると、意図するものがより伝わりやすい。それに、人間の声の特色であると思うけど、人は肉声に反応しやすい。歌詞がなかったとしても、声を用いることで分りやすくなる部分がある。ヴォーカル曲には、僕はそういう効果を求めている」
——自分に似ていることをしているなと感じる人はいますか?
「ケンドリック・ラマーとか、ジェイムス・ブレイクとか……。いろんな音楽に対してオープンでもあるけど、伝えるメッセージに対してすごく意識的であり、それを考えてやっているミュージシャンたちは、僕と同じだと思う。小さなことよりも、長い目で見たような、あたかも俯瞰する感じで大きな問題を音楽で伝えていこうとするアーティストが好きだ」
——参加ミュージシャン選択で、留意したことはあります?
「一番重要であったのは、僕と同世代のミュージシャンを使うということ。今回のアルバムに誰か有名な人に参加してもらおうとは考えなかった。逆に、僕と同じ世代の、僕が大好きなそれぞれの楽器担当者に声をかけた」
——それは自分たち、“ヒーロー”世代の音を作りたかったという意志の反映でしょうか?
「もちろん、そう。ハービー・ハンコックだって、初期のブルーノートのアルバムはそういう意図があって、それが素晴らしいと思う。僕もそれと同じような作品の作り方を、今の世代としてやりたかった」
——あまたが参加した『ネクスト・コレクティヴ』(コンコード、2013年。若手広角型ジャズ・マンがジェイ・Zやパール・ジャム他をカアヴァーしたアルバム)も同じ意図があるのでしょうか。
「そうかな。あれは、これはレーベルのアイデアでやったものだからね。その一つの世代が子供のころに影響を受けた音楽であったり、成長期において聞いていた音楽というのを反映するというコンセプトがあった。ジャズ・ミュージシャンとして今はやっているけれど、こういうのを聞いて育ったというのを出すのがそのコンセプトだね」
——次のアルバムのことは考えています? 今関与しているホセ・ジェイムズのツアーは長いですが。
「まだ、考えてない。3年後ぐらいを目指したい」
——これまでのキャリア中、ターニング・ポイントと思える事はありますか。
「2011年の夏の終わりだね。セロニアス・モンク国際ジャズ・ピアノ・コンクールで優勝したころ。ちょうど同時期、Qティップやカニエ・ウェストと一緒に仕事をさせてもらえたりとか、様々なアーティストとの仕事が入るようになった。ホセ・ジェイムズと出会ったり、マーカス・ミラーからお誘いがあったのもそのころ。あの時期、すべてが変わった。あれがなかったら、両親と一緒に住んで、平凡な人生を送っているかもしれないな」
▶︎過去の、クリス・バワーズ
https://43142.diarynote.jp/201408051020111821/
その後は、南青山・ブルーノート(ファースト・ショウ)で、1994年生まれのクライド(歌とキーボード)と1997年生まれのグレイシー(歌)の兄妹からなる、ローレンスを見る。二人の親は脚本や映画監督で知られるマーク・ロレンス(1959年生まれ)で、クライドは父親が作った映画「リライフ」(2014年)の音楽を担当して、まず注目を浴びた。そして、兄妹で2枚のアルバムを出している。
他に、ギター、ベース、ドラム、テナー、アルト、トランペット奏者がつく。おお、みんな兄妹と同じ年頃か。で、フロントの二人もそうなのだが本当に普段着で洒落っ気がないことに驚く。その和気藹々のノリに接して、地方の州の街のコミュニティ・センターで週2回練習しているバンドと聞いたら、見てくれだけは信じそう。正確に書くとグレイシーの格好は普段着ではなく、バスケット・ボールのユニフォームそのもので、年配の人ならリンダ・ロンシュタットの『リヴィング・イン・ザ・USA(アサイラム、1979年)のジャケみたいと言えばわかってもらえるか。40年前の健気な張り切り米国ムスメ像と重なるなるなんて……。わお。
ショウはクライドの弾き語りが基調となる。面々が送り出すのは、ソウル・ミュージックにインスパイアされた陽性なビート・ポップ。兄と妹がそれぞれリード・ヴォーカルを取る曲は別れているが、なんにせよ溌剌にしてちゃんと質のあるソウル影響下にある表現を展開。何気に、バンドを絡めたショウの進め方も的を得ている。一生懸命、生理的な眩しさにわくわくできました。
カヴァーも3曲。ザ・ビートルズの「ゲット・バック」とショーン・ポール(2015年8月5日)の「ゲット・ビジー」、グレイシーのこのプラネットで一番好きな人と紹介されて歌ったアリサ・フランクリンの「ナチュラル・ウーマン」。先の映画「グリーンブック」ではアリサの曲が車のラジオから流れるシーンもあったが、ソウル好きの若い彼らは”グリーン・ブック”がかつて自国にあったことを知っているだろうか。
▶︎過去の、ショーン・ポール
https://43142.diarynote.jp/201508091204162305/
<今日の、バランス>
試写が終わって、ちょうど一駅分歩くと、ライヴの開演時間にぴったり合うので、歩く(いや、所用時間は電車を使っても、徒歩でも同じぐらいかな?)。うわ、寒いっ。最低気温が4度であったはずだが、風があるためか、ぼくは今年一番日暮れ以降の寒さを感じた。風邪ぎみなのもあり、ライヴ後は寄り道せずに帰ろうと思っていたのだが、これだと店から外に出たらすぐにタクシーを拾いそうと思った。ライヴを見ながら、タクシーに乗ったつもりで(歩くことにし)もう一杯のんじゃいな(=お店に立ち寄る可能性が高まる)という悪魔と、もうお酒は切り上げてタクシーに乗ってもいいからすぐに帰ろうねという天使が、頭の中で言い合いをしている。結局、もう一杯もらう。そして、終演後にまっすぐ駅に向かうそぶりをみせつつ、200メートル歩いたところで空き車を見つけ、手をあげてしまう。内なる悪魔と天使の双方に気配りしたカタチとなった。
実話をもとにした作品。当然、主人公のトニー・リップ(1930〜2013年)とドン・シャーリー(1927〜2013年)は実在の人物。時代は、1962年。無教養で下品で粗暴なイタリア系用心棒と教養高くで上品で物静かな黒人ピアニスト(売れっ子、ゆえに金持ち)が主役の映画である。米国にジム・クロウ法がまだあった時代の二人の関わりを扱い、北部と南部のカラードの扱いの違いを克明に描いている。二人は興行で中西部から南部へと周り(ロード・ムーヴィでもあります)、クリスマス・イヴにともに住むニューヨークに帰ってくる(心温まるクリスマス映画でもあるか)のだが、いろんなところ、よくできている。表題のグリーン・ブックとはカラードが隔離されていた時代に、1936年から66年にかけて出版されていた黒人が利用可能な施設を紹介した旅行ガイド本であるという。そんなのがあるのは知らなかった。ブルース・アンド・ソウル・レコーズ誌にこの映画の原稿を書くので、これぐらいにしておきます。
なお、驚いたのは、プロフェッサー・ロングヘアの「マルディグラ・イン・ニューオーリンズ」がエンド・ロールに使われたりもする、この映画の音楽をコンコードから1枚リーダー・アルバムを出し、マーカス・ミラーやホセ・ジェイムズのサポートで来日したこともあるキーボード奏者のクリス・バワーズ(2014年7月27日)が担当していること。2014年にとった、彼へインタヴューを載せておく。もともとはCDジャーナル誌ように取ったものだ。
——唐突ですが、本や雑誌は好きですか?
「うん、かなりね」
——あなたのデビュー作『ヒーロー+ミスフィッツ』(コンコード、2014年)のタイトルはどういう意味を持つのでしょう。
「“ヒーロー”と“ミスフィッツ”は、僕たちの世代をうまく表現している言葉だと思う。僕たちの世代を“ヒーロー”世代だと言っている記事があって、それを読んで、すごく面白いなと思った。僕たちの世代はソーシャル・メディアが身近にあり、世界に対してポジティヴな変化をもたらせる力を持っているんだそう。一方、“ミスフィッツ(ならず者)”は僕自身のことを指す。個人としてありのままの自分を出した時に、そういうふうに思われてしまうからね」
——曲のタイトルを見ても、いろんな意志を込めているようにも思えて、あなたは本を読んでいる人なのだろうと思ったんです。
「そう思ってもらえて、とてもうれしい。学生時代は音楽中心でずっと来たから、歴史の授業とかをないがしろにしていた。でも、この年になってやっと歴史や過去に興味を持ち、いろんなものを読んで勉強しているんだ」
——1989年生まれというと、とうぜん物心がついたときにはヒップホップが溢れている世代ですよね?
「そうだね、あとロックもね。10代のときは、スマッシング・パンプキンズとかも聞いていたよ。とはいえ、4歳のときから“鈴木メソード”でピアノを弾き始め、8歳からクラシックの個人レッスンも受けてきた」
——恵まれた環境だったようですね?
「うん。僕がやりたいと思うことを全部やらせてくれて、僕は両親に恵まれたよね。たとえば、数ヶ月だけだったけど漫画家になりたいと思ったことがあって、そのときも家から車で1時間近く離れた教室に毎週末に連れていってくれたりと、僕がやりたいことを必ずサポートしてくれる親だった」
——ミュージシャンンになりたいと思ったのは、わりと早くからですか?
「ミュージシャンになりたいというのと漫画家になりたいというのが同じぐらいのときかな。芸術系の高校に入ったんだけど、そこに入るときには絵描きのほうに進みたかった。でも、絵のポートフォリオがそこに入学できるレヴェルじゃなかった。それで、まず音楽のほうで高校に入り、2年目から美術のほうに移ろうと思っていたんだけど、音楽のほうが面白くなり、音楽を続けてやることに決めたんだ」
——今でも絵を描きます?
「いや、描かない。いつかは勉強し直したいとは思っているんだけど。グラフィック・デザインも少しはかじっているけど、ちゃんとはやっていないので、いずれはもう一回やり直したいな」
——17歳からジュリアード音楽院に通ったようですが、飛び級で入ったのですか?
「実は、幼稚園は2年早く、3歳から入った。それで、幼稚園は普通の子供よりも1年長く通ったけど、小学校以降も、僕は他の人よりいつも1歳若かったんだ」
——ジュリアード入学以降は、NYに住んでいるんですよね。やはり、音楽をやるにはNYが適していますか。
「それは、やる音楽にもよるよね。ジャズをやるのであれば、やはりNYは最高。演奏できる場所は多いし、ミュージシャンの質も高いし。でも、映画音楽をやりたかったり、ブリトニー・スピアーズと演奏したいのだったら、LAの方がいいだろうな」
——では、あなた自身はジャズのミュージシャンだと思っている?
「(虚をつかれたという感じで)あー、ええとねえ……。音楽はいろんなことをやるし、どんなことをできるとも、僕は思っている。音楽だけでなく何をやっていても、その中で一番大きな因子は人種であると思う。やはりアフリカン・アメリカンであるということで、こうあるべきだとか、そういうことがついて回ってしまう。それは避けられないもので、何をやってもそこにたどり着く。それと同じように、僕が一番勉強してきていて、一番やってきた音楽というのがジャズであり、僕の根底にはジャズがある。アフリカン・アメリカンであるという属性とともに、そこからは逃れられない」
——アフリカン・アメリカンであること、ジャズをしっかり通って来たことを肯定しつつも、そこから大きく離れようとする指針を、あなたのアルバムは持っています。これだけポップ・ミュージック側に踏み込んだエクレクティックなアルバムをレコード会社はよく作らせたなと思います。
「それには、僕も驚いている(笑い)。今作は、コンコードのA&Rのクリス・ダンと綿密に連絡を取り合いながら作ったんだ。でも、すべてにおいて、それでいいよと快諾されて、これで本当にいいのかと思いながら作っていた部分はあったな」
——あなたは、映画音楽が大好きなんですよね。そこで、一つ合点がいったことがあります。オーケストラを使った荘厳なものからエレクトロニカなものまで、どんな音楽でも映画に合っていれば良い映画音楽として認知されます。それに倣えば、どんな傾向の曲も新世代を自認するクリス・バワーズを顕す音楽と取れば、何をやっていてもあなたのサウンドラックとして違和感なく接することができます。
「そう思ってもらえるなら、うれしいなあ。まったくそのとおりだと思う。ああ、僕のサウンドトラックと取ってもらっていい。やはり、映画音楽は映画が持つ感情であったり、アイデアであったりを、音で表現する。受け手は映画を見ながらその曲を聞くことで、そこにある感情をより大きく増幅させる。それと同じことを、僕は今作で意識的にやったんだ」
——アルバムには複数のゲストによるヴォーカル曲も入っています。やはり、感情を直接的に表現するには、歌が必要だと判断したわけですか?
「すべての曲にヴォーカルが必要だとは思わない。でも、歌が入ることによって、伝えたいことが直接的になるという利点はあると思う。やはり、インストゥメンタルより歌詞があると、意図するものがより伝わりやすい。それに、人間の声の特色であると思うけど、人は肉声に反応しやすい。歌詞がなかったとしても、声を用いることで分りやすくなる部分がある。ヴォーカル曲には、僕はそういう効果を求めている」
——自分に似ていることをしているなと感じる人はいますか?
「ケンドリック・ラマーとか、ジェイムス・ブレイクとか……。いろんな音楽に対してオープンでもあるけど、伝えるメッセージに対してすごく意識的であり、それを考えてやっているミュージシャンたちは、僕と同じだと思う。小さなことよりも、長い目で見たような、あたかも俯瞰する感じで大きな問題を音楽で伝えていこうとするアーティストが好きだ」
——参加ミュージシャン選択で、留意したことはあります?
「一番重要であったのは、僕と同世代のミュージシャンを使うということ。今回のアルバムに誰か有名な人に参加してもらおうとは考えなかった。逆に、僕と同じ世代の、僕が大好きなそれぞれの楽器担当者に声をかけた」
——それは自分たち、“ヒーロー”世代の音を作りたかったという意志の反映でしょうか?
「もちろん、そう。ハービー・ハンコックだって、初期のブルーノートのアルバムはそういう意図があって、それが素晴らしいと思う。僕もそれと同じような作品の作り方を、今の世代としてやりたかった」
——あまたが参加した『ネクスト・コレクティヴ』(コンコード、2013年。若手広角型ジャズ・マンがジェイ・Zやパール・ジャム他をカアヴァーしたアルバム)も同じ意図があるのでしょうか。
「そうかな。あれは、これはレーベルのアイデアでやったものだからね。その一つの世代が子供のころに影響を受けた音楽であったり、成長期において聞いていた音楽というのを反映するというコンセプトがあった。ジャズ・ミュージシャンとして今はやっているけれど、こういうのを聞いて育ったというのを出すのがそのコンセプトだね」
——次のアルバムのことは考えています? 今関与しているホセ・ジェイムズのツアーは長いですが。
「まだ、考えてない。3年後ぐらいを目指したい」
——これまでのキャリア中、ターニング・ポイントと思える事はありますか。
「2011年の夏の終わりだね。セロニアス・モンク国際ジャズ・ピアノ・コンクールで優勝したころ。ちょうど同時期、Qティップやカニエ・ウェストと一緒に仕事をさせてもらえたりとか、様々なアーティストとの仕事が入るようになった。ホセ・ジェイムズと出会ったり、マーカス・ミラーからお誘いがあったのもそのころ。あの時期、すべてが変わった。あれがなかったら、両親と一緒に住んで、平凡な人生を送っているかもしれないな」
▶︎過去の、クリス・バワーズ
https://43142.diarynote.jp/201408051020111821/
その後は、南青山・ブルーノート(ファースト・ショウ)で、1994年生まれのクライド(歌とキーボード)と1997年生まれのグレイシー(歌)の兄妹からなる、ローレンスを見る。二人の親は脚本や映画監督で知られるマーク・ロレンス(1959年生まれ)で、クライドは父親が作った映画「リライフ」(2014年)の音楽を担当して、まず注目を浴びた。そして、兄妹で2枚のアルバムを出している。
他に、ギター、ベース、ドラム、テナー、アルト、トランペット奏者がつく。おお、みんな兄妹と同じ年頃か。で、フロントの二人もそうなのだが本当に普段着で洒落っ気がないことに驚く。その和気藹々のノリに接して、地方の州の街のコミュニティ・センターで週2回練習しているバンドと聞いたら、見てくれだけは信じそう。正確に書くとグレイシーの格好は普段着ではなく、バスケット・ボールのユニフォームそのもので、年配の人ならリンダ・ロンシュタットの『リヴィング・イン・ザ・USA(アサイラム、1979年)のジャケみたいと言えばわかってもらえるか。40年前の健気な張り切り米国ムスメ像と重なるなるなんて……。わお。
ショウはクライドの弾き語りが基調となる。面々が送り出すのは、ソウル・ミュージックにインスパイアされた陽性なビート・ポップ。兄と妹がそれぞれリード・ヴォーカルを取る曲は別れているが、なんにせよ溌剌にしてちゃんと質のあるソウル影響下にある表現を展開。何気に、バンドを絡めたショウの進め方も的を得ている。一生懸命、生理的な眩しさにわくわくできました。
カヴァーも3曲。ザ・ビートルズの「ゲット・バック」とショーン・ポール(2015年8月5日)の「ゲット・ビジー」、グレイシーのこのプラネットで一番好きな人と紹介されて歌ったアリサ・フランクリンの「ナチュラル・ウーマン」。先の映画「グリーンブック」ではアリサの曲が車のラジオから流れるシーンもあったが、ソウル好きの若い彼らは”グリーン・ブック”がかつて自国にあったことを知っているだろうか。
▶︎過去の、ショーン・ポール
https://43142.diarynote.jp/201508091204162305/
<今日の、バランス>
試写が終わって、ちょうど一駅分歩くと、ライヴの開演時間にぴったり合うので、歩く(いや、所用時間は電車を使っても、徒歩でも同じぐらいかな?)。うわ、寒いっ。最低気温が4度であったはずだが、風があるためか、ぼくは今年一番日暮れ以降の寒さを感じた。風邪ぎみなのもあり、ライヴ後は寄り道せずに帰ろうと思っていたのだが、これだと店から外に出たらすぐにタクシーを拾いそうと思った。ライヴを見ながら、タクシーに乗ったつもりで(歩くことにし)もう一杯のんじゃいな(=お店に立ち寄る可能性が高まる)という悪魔と、もうお酒は切り上げてタクシーに乗ってもいいからすぐに帰ろうねという天使が、頭の中で言い合いをしている。結局、もう一杯もらう。そして、終演後にまっすぐ駅に向かうそぶりをみせつつ、200メートル歩いたところで空き車を見つけ、手をあげてしまう。内なる悪魔と天使の双方に気配りしたカタチとなった。
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