米国から自国イスラエルに戻って12年たつ(イェルサレム近郊に居住)このベーシスト(2006年5月17日、2014年1月21日、2015年5月14日、2017年10月18日)は、ずっと自らのルーツ語彙を絶妙に取り入れることをやり、秀でたジャズ・マン像を提示し続けるとともに、秀でたエスノ・ジャズの作り手でもあることも鮮明にアピールしてきている。そして、その方策の追求は、彼の表現に自ら歌う行為やは弦音の導入も導いてきた。

 そんな彼はここ5年ほどストリングス入りのライヴ活動にも熱意をかたむけていて、ここ3年は<アン・イヴニング・ウィズ・アヴィシャイ・コーエン>と題した“自己トリオ・ウィズ・オーケストラ”の公演を彼は各地で持ってきている。なお、その際に共演するオーケストラは訪れる都市のそれを使うのが常だった。

 <アヴィシャイ・コーエン・トリオ・ウィズ・17ストリングス>という出し物は、積み上げてきたコーエンのかような活動の先にあるもので、現トリオと17人編成となる日本人チェンバー・オーケストラによるもの。コーエンは今回のプロジェクトのため、自ら関わる編曲を新たに用意したという。四谷・紀尾井ホール。

 ショウは日本人たちだけで演奏したバルトーク曲(ルーマニア民謡素材の「Romanian Folk Dances Sz 68」)でスタート。その多くは20代と思われ、構成員の多くは女性だ。指揮者はいなかったが(それはコーエンの意向)、コンミスはなかなか優秀で、その松本裕香の合図で癖のある旋律やリズムにあわせて無理なく弦音を差し込しこむ。また、終盤にはコーエンの歌にあわせ、彼女たちも歌った。いい感じでしたね。
 
 2曲目から、コーエン・トリオが加わる。新ピアニストのエルチン・シリノフはアゼルバイジャンの出で、ドラムとパーカッションを組み合わせたセット(バスドラは置かず)を本当にアトラクティヴに扱うイタマール・ドアリはすでに何作ものコーエン作に関与しているイスラエル人奏者だ。

 その協調のあり方は、様々。コーエン曲をオーケストラだけでやったり、文字通り一緒に演奏したり、トリオだけで演奏したり。もちろん、コーエンは何曲かできっちり歌う。自国トラッド(「Puncha Puncha」)やレバノン人歌手の曲(「Arab Medley」)やアルゼンチンのファークロア曲(「Alfonsina Y El Mar」)とか、自分のもの以外の曲もいろいろ。なんか、ジャズで培った感性や技量の元、いろんな音楽様式や時代や地域的属性に自在につながっていく様は味わい深くも、鮮やかと言うしかない。

▶過去の、アヴィシャイ・コーエン(ベーシスト)
http://43142.diarynote.jp/200605190943240000/
http://43142.diarynote.jp/201401221432209419/
http://43142.diarynote.jp/201505150911423384/
http://43142.diarynote.jp/201710201214346567/

<今日の、やさぐれた気持ち>
 この日のコーエン公演は15時からと18時からの二回まわし。ぼくは、早い方のショウに行く。あ“ー暑い、35度越え。昨日、今日と、東京は今シーズン一番の暑さだったのかも。なるべく、屋外には出たくない。会場の紀尾井ホールはどの駅からも中立性を保っていて(?)、ようは駅からはそれなりの徒歩をしいられる。会場に着く頃には、もうふらふら。とにもかくにも、この夏は、やる気もけっこうゼロ。とはいえ、それなりの生活はしたいので、ちゃんと日々の原稿仕事は淡々とこなしておる。もちろん、すべて締め切り内に出している。普段より、先倒しで出しているのも少なくない。だって、仕事を貯めていると暑苦しいぢゃん。

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