なるほど、うまいなと思わされる、ジム・ジャームッシュの2016年アメリカ映画であった。京橋・テアトル試写室で見た。

 有名詩人であるウィリアム・カーロス・ウィリアムズ(これまで、日本ではカルロスではなくカーロスと表記されているよう。当然、詩集や自伝の翻訳本も出ている)が医者をやりながら暮らしたニュージャージー州のパターソン市を舞台とする。同地に生まれ育ち、今は市内を回る公共バスの運転手をしているパターソンという名の30代男性(呑気でハイパー気味の、とてもいい関係を保つ専業主婦のアラブ系妻あり。子供はなし)が主人公。朝6時過ぎに起きて、一人でシリアルを食べ、徒歩でバス倉庫に通い、バスを運転し、夕方自宅に帰り、夕食後は犬の散歩のかたわら行きつけのバーでビールを飲む。そんな判で押したような生活を送る地味目の主人公の月曜から日曜にかけての生活を淡々と描くという内容。ジャームッシュは大学時代に詩にハマった青年でもあったらしいが、ここで重要となるのは、主人公は詩が好きで言葉を追い、ノートにメモすることをしていること。その設定が、映画に深みや展開を与える。ちゃんとした市街地と自然をともに持つパターソンは、アレン・ギンズバーグの生誕地でもある。

 実は、身の丈にあった平穏人生って捨てたもんじゃないうことを示す、ほのぼの映画であるのかと、事前には思っていた。いや、大雑把にくくればそうなるのかもしれないが、使われる音楽のためもあってか、どこか暗いトーン、別な質感がほのかにが流れていると、ぼくは感じてしまった。そして、それを導くインストの劇中音楽を作っているのはジャームッシュ自身。正確にはこの映画のプロデューサーを務めるカーター・ローガンとのユニットである、スクアルが担っている。彼らは以前のジャームッシュ映画ではギターやドラムも使った情景音楽を提出してもいたが、ここではシンセサイザーで作ったアンビエント調の音楽を提供。不穏さを孕むと言えるそれがあると、たとえばバスが街中を走っているシーンで、急に道を渡る母子をバスが轢いちゃうんじゃないかという思いもぼくはえてしまう……。そんなの、ぼくだけか?

<今日の、追記>
 主人公役のアダム・ドライヴァーは純粋なアングロサクソン系の顔立ちではないが、登場する人々にあまり白人がいないのは意識的か。と、思って見ていたが、そのうち意図的なものではないだろうなとも思う。移民国家だよな、アメリカは。アダム・ドライヴァーはコーエン兄弟の2013年映画「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」(2014年3月27日)にも出ているようだが、どんな役柄だったかぼくは覚えていない。
 映画中、重要な場所となるバーの中(そのシーンでは日替わりで、オルガン・ジャズやテディ・ペンダーグラスぽいメロウ・ソウルとかがかかっている)、店主と主人公の会話の中に、ザ・ストゥージズの話もちょい出てくる。おおっ。ジャームッシュは2016年に2本映画を公開していて、もう1本は、ジャームッシュ映画に俳優として出てもいる真性ロッカーのイギー・ポップが1960年代に組んでいたザ・ストゥージズのドキュメンタリー映画となる「ギミー・デンジャー」。本作は8月後半からロードショー公開されるが、「ギミー・デンジャー」も9月初旬から公開となる。
▶︎過去の、映画「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」
http://43142.diarynote.jp/201403271200427855/

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