アンソニー・ジャクソン(6弦の電気ベース)とサイモン・フィリップス(普通の人の倍以上の数のあるドラム)を従えた上原ひろみの現ワーキング・バンド、ザ・トリオ・プロジェクトの実演を見るのは、実は今年3度目。新作リリースに際してのブルーノート東京での短いショーケース・ライヴ(2012年7月25日)と、文中でふれてはいないがフジ・ロック・フェスティヴァルの初日にオレンジ・コートで。。。
で、まず書いておくが、リズム・セクションの感覚の古さ、グルーヴの欠如に関してはやはり疑問を感じる。ジャクソンはギター的な役割もそれなりに兼ねる方向の実に多彩な演奏をするがグルーヴを前に出すという感じではないし、フィリップスのドラムに関しては演奏も(PAを通しての)音も平板。それを喜ぶのは、アナクロなロックの愛好者だけだろう。これがもっと揺れていたり粘着性のあるビートだったら、もっと感性の若いアフリカ系米国人だったり南米ルーツの人が関与したならと思いたくなるが、リーダーの上原がそういう奏者たちの味を好きならしょうがない。事実、MCを聞くと、本当に父親の年代であるだろう彼らのことを敬愛しているのがよく分るし、この3人でもう世界中延々と一緒にツアーしてきているわけであるから。
でも、そう思わずにはいられない一方、こんこんキラキラと指から音が鮮やかに導きだされる様に触れると、パフォーマーとしての彼女は絶対、何を弾いても、誰とやってもお金が取れると思ってしまう。1曲だけやったピアノ・ソロ曲ではおおこんな弾き方できるのかという、場面もあったような気がした。どの日のライヴもツアーの初日であり最終日だと思ってやっている、みたいなことを彼女は言ったが、まさしく、気合いと心をこめて、ピアノとサイドマンと対峙している様はちょっとすごい。とともに、そんな彼女の演奏には、毎度音楽のミューズが微笑みまくる。で、結局、ぼくの耳には古くさい部分もあるけれど、自分の考えるインプロヴィゼーションやインタープレイを持つ、自分ならではインストゥメンタル表現を、彼女は胸を張ってやっていると思ってしまうのだ。当然、それは通常のジャズ様式からは離れるものだが、それこそが大きな美点でもあるのだと思う。
有楽町・東京国際ファオーラム/ホールA、満員。2部構成にてサーヴィス満点にたっぷり、2時間半越えのパフォーマンス。そういえば、PA音と固定カメラを用いた場内ヴィジョン映像がかなり質高し。こんなにグランド・ピアノ+αがよく聞こえるフォーラムのホールA公演には初めて接するような。拍手。
で、タクシーに飛び乗ったが、南青山・ブルーノート東京のセカンド・ショウは始まっていた。こちらは、どうしてこんなメンバーなのという、すでにブルーノートやコットンクラブでピンで興行しているR&B系の3人の名が前に出た出し物だ。
ぼくが会場内入りしたときはシャンテ・ムーア(2006年9月19日、2008年12月8日、2012年3月5日)が歌っている。もースリムで超きれい。どうせ自分がつきあえるわけでもなく有名人が誰とくっつこうと一向に気にならないワタシだが、こんだけイケたルックスだとケニー・ラティモア(2008年12月8日、他)と離婚したという情報もうれしくなる? で、すぐにバンドが良好であるのもすぐに分るが、ステージ前列の両端には変な髪型をしたキーボード奏者とギタリストが。それだけで発汗、ぼくはイカれた(外見の)黒人が大好きでしょうがないことを再認識。ウフフ。魅惑的な複音弾きをいろいろ繰り出すギタリストはリオン・ウェア作にもアンプ・フィドラー作にも、ラリー・グラハムやラファエル・サディーク作にも名を出すロブ・ベイコン。そして、キーボード奏者はもちろんアンプ・フィドラー(2004年9月25日、2005年7月30日)。実はムーアが出てくる前に彼は1曲歌ったらしい、うえん残念。でも、彼のバンドの一員としての演奏も実にいい感じで、資質的にカっとんでいても、一方では大人の協調演奏もOKというしなやかさを存分に覚えて、ぼくはまたごんごんうれしくなっちゃう。フィドラーさん、どうってことないけど、最高っス。
ちなみに他のメンバーはイエロージャケッツ(2009年3月23日)のオリジナル・メンバーであるリッキー・ロウソン(ドラム)とレディシやウィル・ダウニング他のアルバムに名を出すドゥエイン“スミッティ”スミス(ベース)、そしてバックグラウンド・ヴォーカルのニッキー・グリアー。みんな実力者、ほんといいバンドだな。
そして、シャンテと入れ替わりで、ウェア御大(2009年8月23日)が登場。格好いい。彼はすべて中央に立って歌う。もともとモータウンの作曲者/制作者として名を出した彼だけに、別に歌が上手いわけでないが、なんかグっと来る。それは自分の作ったメロディを歌うという強みであるとともに、非常に情緒的な言い方になるが、アーティストの姿勢が正しいからと、ぼくは思ってしまったりもする。多くの人が指摘するほど、ぼくは彼にセクシャリティを覚えないが、なんかそここからいい感じが香り立つと感じでしまうのだ。彼は音楽家として正しい(優しい)大地に立っている! 途中、またムーアが出て来て、1曲デュエットする。
終了時間から換算するに、なんだかんだ1時間50分ほどやったんじゃないか。本編をたっぷりやったのに、ウェアはアンコールに答え、ムーアと出てきてキーボードを弾きながら、フランク・シナトラが作った著名季節曲「ザ・クリスマス・ソング」を歌う。いやあ、いい年末だああああああ。ぼくの日本で見た今年のブラック系実演のNo.1はアーロン・ネヴィル(2012年5月14日)だが、次点はこの晩のライヴだろう。
<今日の、路上展示>
青山通りに面した一角に今、ランボルギーニが野外展示してある。それ以前はもう少し大衆的な欧州車(アウディだったっけか?)が展示してあったんじゃなかったか。で、展示車がスーパー・カーになって、車の横にガードマンが立っている。どうやら、一晩中。わー、大変だろうな。寒いだろうし、座ってはいけない感じだし、一人ぼっちだし。すごい、非人間的な労働……。トイレはどうするのだろう。その様を見て、ランボルギーニにブラックなイメージがぼくにはついてしまった。逆効果宣伝ですね。
で、まず書いておくが、リズム・セクションの感覚の古さ、グルーヴの欠如に関してはやはり疑問を感じる。ジャクソンはギター的な役割もそれなりに兼ねる方向の実に多彩な演奏をするがグルーヴを前に出すという感じではないし、フィリップスのドラムに関しては演奏も(PAを通しての)音も平板。それを喜ぶのは、アナクロなロックの愛好者だけだろう。これがもっと揺れていたり粘着性のあるビートだったら、もっと感性の若いアフリカ系米国人だったり南米ルーツの人が関与したならと思いたくなるが、リーダーの上原がそういう奏者たちの味を好きならしょうがない。事実、MCを聞くと、本当に父親の年代であるだろう彼らのことを敬愛しているのがよく分るし、この3人でもう世界中延々と一緒にツアーしてきているわけであるから。
でも、そう思わずにはいられない一方、こんこんキラキラと指から音が鮮やかに導きだされる様に触れると、パフォーマーとしての彼女は絶対、何を弾いても、誰とやってもお金が取れると思ってしまう。1曲だけやったピアノ・ソロ曲ではおおこんな弾き方できるのかという、場面もあったような気がした。どの日のライヴもツアーの初日であり最終日だと思ってやっている、みたいなことを彼女は言ったが、まさしく、気合いと心をこめて、ピアノとサイドマンと対峙している様はちょっとすごい。とともに、そんな彼女の演奏には、毎度音楽のミューズが微笑みまくる。で、結局、ぼくの耳には古くさい部分もあるけれど、自分の考えるインプロヴィゼーションやインタープレイを持つ、自分ならではインストゥメンタル表現を、彼女は胸を張ってやっていると思ってしまうのだ。当然、それは通常のジャズ様式からは離れるものだが、それこそが大きな美点でもあるのだと思う。
有楽町・東京国際ファオーラム/ホールA、満員。2部構成にてサーヴィス満点にたっぷり、2時間半越えのパフォーマンス。そういえば、PA音と固定カメラを用いた場内ヴィジョン映像がかなり質高し。こんなにグランド・ピアノ+αがよく聞こえるフォーラムのホールA公演には初めて接するような。拍手。
で、タクシーに飛び乗ったが、南青山・ブルーノート東京のセカンド・ショウは始まっていた。こちらは、どうしてこんなメンバーなのという、すでにブルーノートやコットンクラブでピンで興行しているR&B系の3人の名が前に出た出し物だ。
ぼくが会場内入りしたときはシャンテ・ムーア(2006年9月19日、2008年12月8日、2012年3月5日)が歌っている。もースリムで超きれい。どうせ自分がつきあえるわけでもなく有名人が誰とくっつこうと一向に気にならないワタシだが、こんだけイケたルックスだとケニー・ラティモア(2008年12月8日、他)と離婚したという情報もうれしくなる? で、すぐにバンドが良好であるのもすぐに分るが、ステージ前列の両端には変な髪型をしたキーボード奏者とギタリストが。それだけで発汗、ぼくはイカれた(外見の)黒人が大好きでしょうがないことを再認識。ウフフ。魅惑的な複音弾きをいろいろ繰り出すギタリストはリオン・ウェア作にもアンプ・フィドラー作にも、ラリー・グラハムやラファエル・サディーク作にも名を出すロブ・ベイコン。そして、キーボード奏者はもちろんアンプ・フィドラー(2004年9月25日、2005年7月30日)。実はムーアが出てくる前に彼は1曲歌ったらしい、うえん残念。でも、彼のバンドの一員としての演奏も実にいい感じで、資質的にカっとんでいても、一方では大人の協調演奏もOKというしなやかさを存分に覚えて、ぼくはまたごんごんうれしくなっちゃう。フィドラーさん、どうってことないけど、最高っス。
ちなみに他のメンバーはイエロージャケッツ(2009年3月23日)のオリジナル・メンバーであるリッキー・ロウソン(ドラム)とレディシやウィル・ダウニング他のアルバムに名を出すドゥエイン“スミッティ”スミス(ベース)、そしてバックグラウンド・ヴォーカルのニッキー・グリアー。みんな実力者、ほんといいバンドだな。
そして、シャンテと入れ替わりで、ウェア御大(2009年8月23日)が登場。格好いい。彼はすべて中央に立って歌う。もともとモータウンの作曲者/制作者として名を出した彼だけに、別に歌が上手いわけでないが、なんかグっと来る。それは自分の作ったメロディを歌うという強みであるとともに、非常に情緒的な言い方になるが、アーティストの姿勢が正しいからと、ぼくは思ってしまったりもする。多くの人が指摘するほど、ぼくは彼にセクシャリティを覚えないが、なんかそここからいい感じが香り立つと感じでしまうのだ。彼は音楽家として正しい(優しい)大地に立っている! 途中、またムーアが出て来て、1曲デュエットする。
終了時間から換算するに、なんだかんだ1時間50分ほどやったんじゃないか。本編をたっぷりやったのに、ウェアはアンコールに答え、ムーアと出てきてキーボードを弾きながら、フランク・シナトラが作った著名季節曲「ザ・クリスマス・ソング」を歌う。いやあ、いい年末だああああああ。ぼくの日本で見た今年のブラック系実演のNo.1はアーロン・ネヴィル(2012年5月14日)だが、次点はこの晩のライヴだろう。
<今日の、路上展示>
青山通りに面した一角に今、ランボルギーニが野外展示してある。それ以前はもう少し大衆的な欧州車(アウディだったっけか?)が展示してあったんじゃなかったか。で、展示車がスーパー・カーになって、車の横にガードマンが立っている。どうやら、一晩中。わー、大変だろうな。寒いだろうし、座ってはいけない感じだし、一人ぼっちだし。すごい、非人間的な労働……。トイレはどうするのだろう。その様を見て、ランボルギーニにブラックなイメージがぼくにはついてしまった。逆効果宣伝ですね。
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