ザ・ジャクソンズ。KANKAWA
2012年12月7日 音楽 昨年のザ・ジャクソンズのショウ(2011年12月13日)はジャッキー、ティト(2010年7月15日)、マーロンによるものだったが、今回はさらにジャーメインも加わってのもの。マイケル・ジャクソンは生きていたら来年55歳なので、兄の彼らはもうアラウンド60となるのだな。というわけで、今回のザ・ジャクソンズの実演はオリジナル4人によるもので、リード・ヴォーカルはジャーメインが一番とった。一方、ダンスが一番アピールのはマーロン。かなり世界中を回って来てのショウ、アンコールなしの90分の仕立てだった。ステージ美術はそんなに派手ではなかった。
モータウンを出て、権利関係の問題でザ・ジャクソン5からザ・ジャクソンズと改名して活動したエピック時代(1975年〜)の曲を中心に、もちろん中盤ではザ・ジャクソン5曲のメドレーも披露。また、ジャーメインは84年の個人ヒット曲「ダイナマイト」を披露したりも。それから、中盤前に一度4人が引っ込んで若き日の映像が流される場合もあった。また、マイケル・ジャクソンのソロの曲も5、6曲ちゃんとやったり、マイケルの写真を映したり(すると嬌声が上がる)と、かなり故人の名声にのっかったショウであると思った。彼らがネルソン・マンデーラ他有名人と一緒の写真も何葉も紹介されたが、うち一つはヨーコ・オノ(2009年1月21日)とがきんちょのショーン・レノン(2009年1月21日)と一緒のやつだった。
といったわけで、4人の歌にしても踊りにしても、いかにマイケル・ジャクソンは凄かったか……ある意味、その事実を如実に知らせるショウであったとも間違いなく言える。だが、マイケル関連のもろもろに湧いていたオーディエンスはそれもまたうれしいことだったのかもしれない。
サポートは音楽監督を務めるレックス・サラスをはじめ、皆LAのスタジオ界で活動している人たち。キーボード2人、ギター2人、ベース、ドラム、パーカッション、コーラス3人(うち、女性2人)という編成。けっこう、打楽器奏者が効いていて、ワシントン・ゴー・ゴーのビートみたいなふくらみを感じさせるときも。それぞれ与えられたソロ・パートを聞いても分るが、演奏陣の質は良好。完全に生の、好ましいバンド・サウンドを出していたと思う。有楽町・東京国際フォーラム/ホールA。
その後、そんなに遠くない銀座・ノーバードで、ヴェテランのオルガン奏者のKANKAWA(2009年5月19日、他)のカルテットを見る。日本在住らしいジェイムズ・マホーン(テナー・サックス)、越智厳(ギター)、そしてNYから呼んだグレッグ・バンディ(ドラム)という顔ぶれ。そのバンディはハーレム・ジャズの顔役だそうだが、オル・ダラ(2001年8月1日)の黄金のアトランティック盤なんかにも名を連ねている人だ。わっ。
ライヴの最中にお酒こぼして壊したとかで、ハモンドではなくオルガン音色の小さめのキーボードをKANKAWAは弾く。もう、俺様流儀炸裂、MCもほろ酔い風情で長々とかます。シラフに見えたが、MCによれば、バンディはお酒が主食の人らしい。最後のブルース曲で、バンディは延々と歌う。どこか愛嬌ある、ラフでタフな流儀がほわーんとありました。
<一昨日の、悲報>
ブラジルの底なしの創造性を高らかに示し続けた建築家オスカー・ニーマイヤーが一昨日大往生したとのこと。103歳。彼は熱心な共産党員としても知られ、軍事政権になったのを引き金にパリにずっと住んでいたなど、緩やかな人生ではなかった部分もあったかもしれないが、長生きはなにより。建築家は機会を与えられなきゃ実力の発揮のしようがなく、世の権力側と上手くやることが必須とされると思うが、彼はブラジル大統領の住まいからNYの国連センターまで、本当にいろんなものを設計しているはずだ。そして、そんな彼のなかでぼくが一番着目する業績は新首都ブラジリアの建物設計にかかわったこと。小学生の頃に、漫画雑誌にブラジリアがカラー・グラビアで紹介されていて、ぼくはへえ〜となりまくったっけ。ブラジル、良く分らないけどスゲエ。それを見て、ぼくのどこかにそういう刷り込みがなされたはず。そして、そういう回路は他者にもあり、テリー・ギリアムの1985年映画「未来世紀ブラジル(原題:Brazil)」のタイトル付けもそうした“ブラジリアの幻想”と関連しているのではと、ぼくはずっと思っている。
ところで、ぼくが一番最初に建築家の名を覚えたのは中学1年生のときで、米国人のフランク・ロイド・ライト(1867〜1959年)だった。サイモン&ガーファンクルの1970年最終作にはライトを讃える「ソー・ロング、フランク・ロイド・ライト」という“漂う”曲が収められていたから。それ、今聞いても清新オルタナティヴな感触を持っている。そして、その後ポール・サイモンはソロになりキングストンに(1972年作)、ニューオーリンズに(1973年作)と向かうわけだ。
話は飛ぶが、東京国際フォーラムを設計したのは、ウルグアイ生まれ、アルゼンチン育ちで、現在はNYで活躍するラファエル・ヴィニオリという人らしい。ここのデザイン、たまに行く者としてはそんなに勝手がいいとは思えません。
モータウンを出て、権利関係の問題でザ・ジャクソン5からザ・ジャクソンズと改名して活動したエピック時代(1975年〜)の曲を中心に、もちろん中盤ではザ・ジャクソン5曲のメドレーも披露。また、ジャーメインは84年の個人ヒット曲「ダイナマイト」を披露したりも。それから、中盤前に一度4人が引っ込んで若き日の映像が流される場合もあった。また、マイケル・ジャクソンのソロの曲も5、6曲ちゃんとやったり、マイケルの写真を映したり(すると嬌声が上がる)と、かなり故人の名声にのっかったショウであると思った。彼らがネルソン・マンデーラ他有名人と一緒の写真も何葉も紹介されたが、うち一つはヨーコ・オノ(2009年1月21日)とがきんちょのショーン・レノン(2009年1月21日)と一緒のやつだった。
といったわけで、4人の歌にしても踊りにしても、いかにマイケル・ジャクソンは凄かったか……ある意味、その事実を如実に知らせるショウであったとも間違いなく言える。だが、マイケル関連のもろもろに湧いていたオーディエンスはそれもまたうれしいことだったのかもしれない。
サポートは音楽監督を務めるレックス・サラスをはじめ、皆LAのスタジオ界で活動している人たち。キーボード2人、ギター2人、ベース、ドラム、パーカッション、コーラス3人(うち、女性2人)という編成。けっこう、打楽器奏者が効いていて、ワシントン・ゴー・ゴーのビートみたいなふくらみを感じさせるときも。それぞれ与えられたソロ・パートを聞いても分るが、演奏陣の質は良好。完全に生の、好ましいバンド・サウンドを出していたと思う。有楽町・東京国際フォーラム/ホールA。
その後、そんなに遠くない銀座・ノーバードで、ヴェテランのオルガン奏者のKANKAWA(2009年5月19日、他)のカルテットを見る。日本在住らしいジェイムズ・マホーン(テナー・サックス)、越智厳(ギター)、そしてNYから呼んだグレッグ・バンディ(ドラム)という顔ぶれ。そのバンディはハーレム・ジャズの顔役だそうだが、オル・ダラ(2001年8月1日)の黄金のアトランティック盤なんかにも名を連ねている人だ。わっ。
ライヴの最中にお酒こぼして壊したとかで、ハモンドではなくオルガン音色の小さめのキーボードをKANKAWAは弾く。もう、俺様流儀炸裂、MCもほろ酔い風情で長々とかます。シラフに見えたが、MCによれば、バンディはお酒が主食の人らしい。最後のブルース曲で、バンディは延々と歌う。どこか愛嬌ある、ラフでタフな流儀がほわーんとありました。
<一昨日の、悲報>
ブラジルの底なしの創造性を高らかに示し続けた建築家オスカー・ニーマイヤーが一昨日大往生したとのこと。103歳。彼は熱心な共産党員としても知られ、軍事政権になったのを引き金にパリにずっと住んでいたなど、緩やかな人生ではなかった部分もあったかもしれないが、長生きはなにより。建築家は機会を与えられなきゃ実力の発揮のしようがなく、世の権力側と上手くやることが必須とされると思うが、彼はブラジル大統領の住まいからNYの国連センターまで、本当にいろんなものを設計しているはずだ。そして、そんな彼のなかでぼくが一番着目する業績は新首都ブラジリアの建物設計にかかわったこと。小学生の頃に、漫画雑誌にブラジリアがカラー・グラビアで紹介されていて、ぼくはへえ〜となりまくったっけ。ブラジル、良く分らないけどスゲエ。それを見て、ぼくのどこかにそういう刷り込みがなされたはず。そして、そういう回路は他者にもあり、テリー・ギリアムの1985年映画「未来世紀ブラジル(原題:Brazil)」のタイトル付けもそうした“ブラジリアの幻想”と関連しているのではと、ぼくはずっと思っている。
ところで、ぼくが一番最初に建築家の名を覚えたのは中学1年生のときで、米国人のフランク・ロイド・ライト(1867〜1959年)だった。サイモン&ガーファンクルの1970年最終作にはライトを讃える「ソー・ロング、フランク・ロイド・ライト」という“漂う”曲が収められていたから。それ、今聞いても清新オルタナティヴな感触を持っている。そして、その後ポール・サイモンはソロになりキングストンに(1972年作)、ニューオーリンズに(1973年作)と向かうわけだ。
話は飛ぶが、東京国際フォーラムを設計したのは、ウルグアイ生まれ、アルゼンチン育ちで、現在はNYで活躍するラファエル・ヴィニオリという人らしい。ここのデザイン、たまに行く者としてはそんなに勝手がいいとは思えません。
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