東京ジャズ

2011年9月3日 音楽
 前日に続いて、有楽町・東京国際フォーラム。昨日/今日と大型台風来襲が報じられていた(一時は埼玉スタジアムでのサッカーW杯予選試合の開催も危ぶまれた)ものの、雨はほぼ降らず。

 12時半から、ホールD7で、フランスのレミ・バノシアン・トリオをまず見る。ピアノ、ウッド・ベース、ドラムと純なピアノ・トリオ編成だが、ドラマーが非4ビートの立ったビートを叩くので、疾走感を持つ。その後は、ホールAで、カウント・ベイシー・オーケストラ(2010年12月28日)を見た。おお、ビッグ・バンドはでかいステージに映えるな。

 ホールD7に戻って、オランダのマイク・デル・フェロ・トリオを見るが、その聞き味の良さにびっくり。わー。ルックスはパっとしない只の中年のおっさんだが、<アンサンブルにも気を使った詩情/ストーリー性>と<ジャズ的な飛翔感>を無理なく併せ持つそれには感心。スタイリストやなあ。ときに左手でキーボードを扱ったり、女性ベーシストは曲によっては電気ベースに持ち替えぐつぐつと弾いたりもするのだが、それも必然性あり。アーティスト性、瀟酒に舞う。当人は指をタカタカ交互に下ろすような弾き方をし、それは見た目には印象的。

 そのあと、ホールAで、フランスの著名映画音楽作家/ジャズ・ピアニストのミシェル・ルグラン。80歳ちょい手前、トリオにて。初めて見ると思うが何気に感服。開かれた娯楽性と洒脱な創意とチャーミングな人間味が見事に一体となったパフォーマンスで、それは楽しい。彼はけっこう歌いもするが、それも味あり。笑顔で、接せた。

 以上は昼の部。知人と飲食した後、ホールD7で、ノルウェーのトルド・グスタフセン・アンサンブル。ピアノ、サックス、ベース、ドラムという編成。いやあ、これも個性あり。もう、音数を減らし淡々と生理的に研ぎすまされた音を重ねていき、もう一つの紋様や風景のようなものが浮かび上げる……。発展の入り口を常に横においた、抑制されまくりの美の連鎖。アンサンブルと名乗るのも納得だし、さすがグスタフセンは今のECMのエースの一人だなと納得した。ホールD7のタイム・テーブルはアーティスト出演間の休憩が1時間取られているので、またホールAへ。インコグニート(2011年3月31日、他)がやっている。毎度の感じだが、こういうのはフェスには強い。3.11後に作ったチャリティ・ソング「ラヴ・ウィル・ファインド・ア・ウェイ」もやる。最後はリーダーのブルーイの心のこもった口上にオーディエンスはシーン。そして、その後に割れるような拍手歓声。

 ホールAのアーティスト間の休憩は15分なので、そのままいて、アンソニー・ジャクソン(2010年10月26日、他)とサイモン・フィリップスというおやじのリズム隊とともに組んだ、上原ひろみ(2010年12月3日、他)の新トリオ(ザ・トリオ・プロジェクトと名乗る。すでに、アルバムを1枚発売済み)を見る。そりゃ、共に実力者ではあるだろうけど、なんで今さら彼らと組まなきゃならんのかとぼくはどうしても思ってしまうが、当人にとっては念願の顔合わせであるという。で、繰り広げられるは、上原流のキメキメのプログ(レッシヴ)・ロック的なピアノ・トリオ演奏。過剰にして、畸形。でも、それは壮絶なインタープレイや研ぎすまされた協調を経てのものではあるし、ここまで徹底してやられたらグの音も出ない。ジャズでもねえしロックでもねえ、だが壮絶なインストゥルメンタルであるのは間違いない。とともに、やっぱり、何を弾こうと上原の歓びと気に満ちた演奏の様は見る者を引きつける。ヒネたぼくも、これは音楽の女神が微笑まずにはいられないだろうと、思っちゃう。うひょー。しかし、ショウが終わるとリズム隊の2人は3キロぐらいしぼんだ感じで、超ぐったりなんじゃないか。

 途中で出て、ホールD7で、オーストラリアのピアノ・トリオであるミスインタープロテートの演奏をチェック。全然知らない人たちだったが、これもなかなか。ピアニストのショーン・フォランはブラッド・メルドー(2005年2月20日、他)以後と言える弾き味を持つ人だが、フォラン・トリオではなくちゃんとグループ名を名乗っているのがすんなり納得できる噛み合いのもと、視点ある美意識を抱えるトリオ演奏が持たれる。最後の曲はちょっと前衛的な導入部から、グルーヴィなベース・ラインが支配するパートに移り、その後鮮やか詩的に飛翔するというマジカルな曲。感心。オーストラリア、すげえな。

<今日の映像>
 ホールAもホールD7も、ちゃんとヴィジョンが置かれ、客には映像が提供される。特に、広いホールAの映像はいろんなカメラ・アングルのもと、出演者の諸々を伝えようとする。何年か前はびっくりするほど劣悪な画質の映像を無神経に流していたこともあったわけで、時の積み重ねを感じました。

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